おはようございます。
元日の令和6年能登半島地震から 70回目 の朝を迎えました。
東日本大震災から本日で 13年 (4750日) です。
そして、福島第一原発事故から 13年 が経ちました。
サクラの開花予想
先日発表された日本気象協会の2024年桜開花予想(第3回)によると、今年のソメイヨシノの開花予想は、全国的に平年より早く、開花一番は東京や高知の3月19日で、福岡や松山20日と続くのだそうです。
なお、東京の桜満開は25日予想とのことです。楽しみですね。
さて、
《桜が開花しました》と気象庁から開花宣言がだされるサクラの木は「ソメイヨシノ」ということはよく知られていますが…、
地域によっては「ヒカンザクラ(石垣島や沖縄)」や「エゾヤマザクラ(釧路や稚内)」だったりします。
ヒカンザクラは、旧暦の正月あたり、1月中旬〜2月初旬には咲いてしまいますし、エゾヤマザクラは北海道では5月に咲きます。
そのため、報道では、単に「桜」とは呼ばずに、
《 今年のソメイヨシノの開花は… 》
とソメイヨシノを強調するのですね。
日本全国の58か所にこれらサクラの「標本木」があるそうで、その標本木の開花の状況によって、気象庁で桜の開花が宣言される、という仕組みです。
北海道から九州までのほとんどの地方の標本木はソメイヨシノで、東京都は靖国神社(千代田区)の境内に標本木があり、京都は二条城(京都市中京区)、大阪は大阪城公園(大阪市中央区)にあります。
… … … … … …
さて、
東日本大震災(2011年3月11日)から13年
です。
警察庁の調べ(2024年3月1日現在)では、震災による死者1万5900人(岩手4675人、宮城9544人、福島1614人、茨城24人、千葉21人、東京7人など)、行方不明者2520人(宮城1213人、岩手1107人、福島196人、他3県で4人)と発表されています。(死者・行方不明者の合計1万8420人)
死者のほとんどが津波による溺死(90.6%)で、次いで、建物倒壊による圧死(4.2%)、焼死(1%)、不明(4.2%)であることが分かっています。
余談となりますが、
セイショップに相談にいらっしゃるお客様とお話ししていると、恐らく、東日本大震災後の多くの報道の影響からでしょう、「津波が一番怖い(地震対策では津波の対策が一番大切、津波が無ければ大丈夫)」と誤解されている人が、割と多くいらっしゃることに気づかされます。
しかし、首都圏で10万5千人以上が亡くなった100年前の関東大震災(1923年9月1日)の死因では、火災による焼死(87.1%)、建物倒壊による圧死(10.5%)が死因の上位であり、
6434人が犠牲となった阪神・淡路大震災(1995年1月17日)では、建物倒壊による圧死(83.3%)、焼死(12.8%)となります。
同じ“地震災害”であっても、その発生場所や時間などによって、その被害の様相は大きく変わることを知っておかれると良いと思います。
何を申し上げたいかというと、上記の事例では、津波が来る沿岸に住んでいないから我が家は大丈夫、と安易に考えてしまうことです。
「正常性バイアス」という心理学用語でも知られていますが、人間の心は、自分だけは災害にあっても生き残れる(大丈夫)、などと過信してしまいがちです。
講演会などで、災害に遭遇した時を想像するよう来場者にお伝えして、その後、何を思ったか伺うと、ほとんどの参加者が「高台から津波を眺めている」とか「避難所にいる」とお答えになります。
つまり、参加者の多くは、自分だけ災害に巻き込まれずに生き残った前提、での想像を無意識にしているのです。
“想定外”と呼ばれるように、災害は人智を超えて発生してしまうものですから、危機管理上は、いくつかの異なるパターンを想定して、それぞれに合った備えを行うことが良いかなと思います。
震災関連死を含め震災の死者2万2222人
この13年間で、居住制限区域や、避難指示解除準備区域の避難指示は全て解除されました…が、福島県では帰還困難区域(年間積算放射線量が50mSv超の区域)は、未だ残されたままです。
避難生活を送る人は、福島県の被災者を中心に、なおも全国に2万9328人 もいらっしゃいます。(2024年2月1日現在)
そのうち、福島県から県外に避難した人は、2万279人 に上るそうです。(復興庁調査:2024年2月1日時点)
東日本大震災では、
その後、長期化した避難中に亡くなる「震災関連死」は、1都9県で3,802人(復興庁発表:2023年12月31日現在)と発表されておりますので、
震災関連死を含めると、震災で亡くなった方は 2万2222人 ということになります。
戦後、死者1万人を数える災害は初めてのことでした。
また、国内観測史上最大のマグニチュード9.0の巨大地震であり、その大津波の被害規模(建築被害40万6067戸)、また、大津波によって引き起こされた東京電力福島第一原子力発電所の事故という、地震・津波・原発事故の3つの複合災害により、16兆円を超える経済損失が発生(世界銀行推計で自然災害による経済損失額では史上1位)するなど、
…まさに未曾有の大震災でした。
とくに原発事故処理(廃炉)は13年経ても進展が全くみえず、東京電力による汚染水(ALPS処理水)処分は昨年からようやく始まりましたが、原子炉の燃料デブリ(ゴミ)は全く手つかずです。
当初の目標とした2051年の廃炉完了は、達成困難と言われているようです。
… … … … … …
さて、私事で恐縮ですが…
…思い起こせば13年前、
当時、本社(1978年創業)は永田町にありましたが、ネットショップ(セイショップの前身「Seiさんのお店」)を本格的に軌道に乗せるべく、一人で神奈川県横浜駅の近くにあった古いマンションの一室を借り切り盛りしていたときでした。
阪神淡路大震災は17秒の強い揺れだったそうで、また、当時読んだ専門書も“大きな地震でも1分も続かない”というような知識が書かれていましたので、まさか震度5以上の強い揺れが3分間も続くなど、想像もしていませんでした。
これはただごとではないと、地震の揺れの最中(約1分後)に、妻の携帯に電話をかけ、通じたのにかかわらず音声が途切れて会話は一切できず、直後に強制的に電話が切れました。
何も話せなかったので、災害用伝言ダイヤル(171)にかけてメッセージを入れようとしましたが…
「災害用伝言ダイヤルのサービスエリア外のためご使用になれません(被災地ではないからか?)」
といった内容のメッセージが流れて利用すらできませんでした。
横浜の高層ビル群は、ゆらゆらと左右に大きく揺れており(長周期地震動)、ポキッと折れるんじゃないかな、とアホなことを考え気を紛らわせました。
恐らく輻輳(ふくそう)して、結局、その日の夜くらいまで通話はできずしまいだったかと思います。
横浜駅の近辺は停電しなかったので、お客様対応など20時頃まで仕事をして、それから備蓄の飴玉とペットボトルをかかえて、道中で「飴ちゃん食べる?」と道行く人に配りながら、2時間ほど歩いて家へと帰りました。
幹線道路はみたこともないような大渋滞でしたが、車のヘッドライトのおかげで、かえって道路が明るく歩きやすかったのを覚えています。
ただ、幹線道路から道を一本外れると、天気が曇りなので星明かりも何もなく、我が家の周辺(横浜市戸塚区)は停電で、真っ暗闇となりました。
両腕を前にまっすぐ伸ばして自分の腕の付根から先もまったく見えないくらいの暗黒で、ところどころ道路を指で触って確かめながら歩きました。
「月夜の晩だけだと思うなよ」
…なんて陳腐な台詞がありますけれども、本当に暗いと何も見えないんだな、と納得したものです。
自分にとって得難い経験となったのは、自宅マンションに辿り着いたときでした。
集合マンションの玄関のオートロックが停電で開かず、同様に、地下駐車場ゲートも停電で開けられず、自家用車すらも使用できなかったことが分かりました。もちろんマンションのエレベータも動きません。
非常階段を上っている時も、真っ暗闇で、密閉空間だったので、そよ風すら肌に感じることない静寂で、全ての感覚がマヒしたように思えてより一層怖くなりました。
階段の途中で、携帯電話の液晶画面の明かりがあることを思い出し事なきを得ましたが…なんで、今まで気づかなかったのだろうと、独り苦笑したものです。きっと気が動転していたのでしょう。
私の住む地域は、震災の直接的な被災地ではなかったものの、そんな思い出がよみがえります。
その後も、我が家(横浜市戸塚区)は東京電力の計画停電(輪番停電)のエリアに選ばれたため、震災後二週間で何度かの停電が続くことになりました。
停電の都度、とくに冷蔵庫(冷凍庫)の取り扱いには難儀したものです。
尚、我が家のエリアは高層マンション街(いわゆるタワマン)で、計画停電中は引っ越し業者のトラックが毎日のようにマンションの前に何台も連ねていた当時の異様な光景をよく覚えています。
停電による生活の不便さから、引っ越しを考える方々が続出したらしく、直接の被災地でなくても、人口は簡単に流失するものだな…と思ったものです。
電気が当たり前の現代人にとって、停電は怖いな、と心底感じたことから、今では、必ず、LEDライトや小さなバッテリーを持ち歩くようになりました。
◆執筆者
SEI SHOP(セイショップ)総合プロデューサー
平井敬也(ひらい ひろや)
防災士(日本防災士機構登録No.040075)、日本人間工学会会員。
1970(昭和45)年、東京都世田谷区生まれ。神奈川県横浜市在住。日本大学大学院で安全工学・人間工学を専攻。大学院修了後、大手ゲーム製造メーカーに入社、企画開発、PL(製造物責任法)担当や品質管理(ISO9000)に携わる。2001(平成13)年、災害用長期備蓄食〈サバイバル®フーズ〉の輸入卸元、株式会社セイエンタプライズ取締役に就任。阪神淡路大震災で家族が神戸で罹災、日常の防災意識や危機管理の啓蒙普及を企図した無料メールマガジン『週刊防災格言』を07年よりスタート。毎週月曜日に防災格言を発信し続け2万人の読者を得ている。
【書籍】天災人災格言集―災害はあなたにもやってくる! ¥1,650(税込)