おはようございます。
今週の金曜日(1月26日)は「 文化財防災デー 」です。
石川県能登地方の地震から本日で3週間です。
令和6年能登半島地震で罹災された方々に、心よりお見舞いを申し上げます。
地震から3週間たち、被災地の状況もだいぶん分かってきました。
1月2日に現地入りした知人や、先日視察に行った知り合いから送られてきた写真を見ると、災害の凄まじさに唖然となるばかりです。
状況が分ってきた今は、孤立集落への避難作戦など、行政もよくやっている、とたいへん感心しながらニュースを見ています。
自衛隊、消防、警察や、民間からの支援も被災地に届いています。
大きな被害を受け孤立した能登半島では、石川県の主導で、被災者に旅館やホテルなど「2次避難所」への受け入れを進めています。
しかし、その一方で、発災当初から災害関連死を心配する声も医療関係者を中心にでていましたが、災害救助の72時間のフェーズを過ぎた今、1月9日に初めて6人の災害関連死が報告されて以来、日に日に災害関連死も増えてきています。
1月19日の発表では、石川県ではこれまでに232人が亡くなられ、未だ22人が安否不明で、重軽傷者は1,061人、死者のうち14人が避難生活の中で健康状態を悪化させて亡くなる「災害関連死」とされています。
そして、今も359か所の避難所で1万3,934人が、不便な避難生活を送られているそうです。
そんな中で、被災者の支援に政府・行政も全力を挙げるべき、とのオピニオンも多くみられます…。
ただ、これだけの規模の広域災害ですから、被災地域に暮らす罹災者へのケアは当たり前ですが、支える側の行政職員、現地で支援されている民間や医療関係者や方々、自衛隊、消防、警察の皆様の体調の管理や後々のケアも、私は心配しています。
どうか支援の方々も、体調を崩されたり怪我などされぬよう願っております。
先週末の1月19日時点でも、もっとも被害の大きかった、能登半島の輪島市や珠洲市、能登町などでは、約7千戸の停電が、約4万9990戸で断水が続いています。
冬本番を迎えますので、できるだけ早期のライフラインの復旧を願ってやみません。
…さて、
低層木造住宅の倒壊と“キラーパルス”の報道がありました。
今回の地震では、震度6以上を観測した地域で木造家屋の倒壊が相次ぎました。
被害の大きかった輪島市、珠洲市では、まだ住宅被害の全容がわかっていませんが、1月20日の石川県のまとめによると、現在のところ石川県の住宅被害は31,619戸が確認されています。
木造の低層家屋の倒壊が目立った輪島市や穴水町などでは、地震の揺れの特徴が、“キラーパルス”とされる1~2秒の“短い周期”で小刻みな揺れを起こす地震波だったことが地震計の記録からわかったそうです。
この短い周期の揺れの特徴は、低層の木造住宅で、揺れを増幅させる“共振(きょうしん)”と呼ばれる現象を引き起こすことが知られています。
1995年1月17日の阪神淡路大震災では、この“キラーパルス”と呼ばれる共振現象によって、兵庫県内の多くの木造住宅が倒壊しました。
阪神淡路大震災の死者6,434人、重軽傷者43,800人のうち、約8割から9割近い死傷者は、これら建物倒壊に巻き込まれたものだったことが後の調査で判明しています。
※地震の共振について詳しくは構造学者マリオ・サルバドリーの防災格言「地震の固有周期と建築構造との共振(キラーパルス)」を参照ください。
1月18日の毎日新聞の記事によると、石川県が氏名を公表した死者80人のうち、8割を超える69人が家屋倒壊によって亡くなっていたことが判明したそうです。
地震の犠牲者の死因のうち、8割超が建物倒壊による圧死者・窒息死者だったのは、1995年の阪神淡路大震災と同じでした。
「既存不適格」のお話し
今回の能登半島の地震で多くの住宅が倒壊した原因の一つとされる“キラーパルス”ですが、その一方で、
過去の阪神淡路大震災では、他にも、倒壊家屋の多くが古い耐震基準で設計し建てられていた建築物だったことが分かっています。
能登半島の倒壊家屋が、現在の耐震基準(及び防火規定)を満たしていない旧建築基準で建てられた古い家屋(具体的には1981年5月以前の建築物)だったかどうかはまだ調査がされていないと思われますが…、
阪神淡路大震災では、1981年5月以前の旧耐震基準で建てられていた住宅の倒壊が目立ちました。
建設した当時は適法でしたが、その後の法改正で、今では法不適合になった状態を「既存不適格」(法律用語ではない)と呼んでいます。
阪神淡路大震災で倒壊した家屋のほとんどが「既存不適格建築」だったことが、後の調査で判明したのでした。
…簡単に説明すると、
1981年5月までの古い耐震基準(旧耐震基準と呼ばれる)は「震度5に耐えられる前提」の家屋でしたが、1981年6月以降に建てられた現在の新耐震基準は「震度6強以上にも耐える前提」の家屋ということです。
余談になりますが…、
よく震度7に耐える、と宣伝を見かけますけれども、震度7は地震の揺れの強さを表す最大値なので、震度7には上限がなく、震度7以上の揺れというものは震度階級上は存在しません。
そのため、震度7の揺れ強弱は事実上、青天井です。
だから、正確には、震度7に耐える建物というのは難しく、震度6強以上に耐える建築、と表現するのが正しいかと思っています。
尚、今の建物が、その後の法改正で不適格建築となってしまったとしても、現在の法的判断では「ただちに違法とは言えない」とされ、行政措置などは発動されることはありません。
ただ、最新の科学的知見からみて、既存不適格建築は、大地震への強度が十分とは言えないのですから、最新の建築基準を満たすよう、また、できればそれ以上の強度を確保できるように“耐震改修”するようにしたいものです。
あくまでも家の耐震改修は、所有者の努力義務、ですが、「改正耐震改修促進法(2006年)」という法律で、国も行政も耐震改修の促進をはかるため“耐震診断”や“耐震改修”に補助金も出ています。
自宅や住まいの耐震強度が心配な人は、いちど、地元行政の窓口に相談されるのが良いかと思います。
※「既存不適格」の関連記事
・篠塚昭次(早大名誉教授)の阪神淡路大震災後の住宅政策の提言|思則有備(しそくゆうび)
・ニュージーランド地震(2011年)を考える|思則有備(しそくゆうび)
耐震基準の歴史
さて、話を戻し、
日本では、過去の大地震の被害経験から、建物の安全性を確保するための法令や基準、つまり『耐震基準』が整備されてきました。
ご記憶の人も多いかと思いますが、
トルコ大地震(2023年)でも、ニュージーランドのクライストチャーチ地震(2011年)でも、アマトリーチェのイタリア中部地震(2016年)でも、犠牲者の多くは「既存不適格建築」の倒壊により亡くなり、その後、現地では、耐震基準の話題が議論の中心となりました。
ですので、耐震基準は海外のものと思いがちですが、
実は、建物の耐震構造の規定、いわゆる「耐震基準」というのが設けられたのは、日本が世界最初なのだそうです。
大正時代、関東大震災(1923年)での死者の大半(約9割)は、地震後の火災に巻き込まれたものでしたが、その他にも、石造、レンガ造、木造の建物の多くが壊滅的被害を受けていました。
しかし、その一方で、日本興業銀行ビル、丸の内ビルディングなどの鉄筋コンクリート造の当時最先端の技術で建てられた建築物には被害がほとんどありませんでした。
関東大震災でのこの経験から、耐震設計の重要性が証明され、建築物の耐震構造化の構造規定が定められることになりました。
それが「市街地建築物法施行規則(1924年)」でした。
2005年の構造計算書偽造事件で超有名となった建物の「構造計算」というものも、この関東大震災を契機に、建築学会で「構造強度計算基準(1924年)」が作られて耐震計算が普及されるようになって今に至っているのだといいます。
その後、
戦後に発生した震度7の福井地震(1948年)の建物倒壊の教訓から、木造建築の耐震要素に「壁率(筋交い等)」の規定を取り入れた「建築基準法(1950年)」が施行されます。
十勝沖地震(1968年)では、鉄筋コンクリート造の多くのビルディングに大きな被害が発生し、それをきっかけに「耐震基準の見直し(1971年)」が行われ、さらに、宮城県沖地震(1978年)の被害を教訓にして「新耐震基準(1981年)」が施行されました。
ところが、阪神淡路大震災(1995年)で、1981年以前に建てられた建築物の被害が多発しました。
阪神淡路大震災では、1981年5月以前の「旧耐震基準」で建てられた建築物の約64%で大きな被害がでたことが分かっています。
この結果、1981年以前に建てられた学校や病院などの特定建物に耐震診断や耐震改修を求めた「耐震改修促進法(1995年)」が施行されることになります。
さらに、阪神淡路大震災では、震度6強以上に耐える前提だった「新耐震基準」の木造家屋にも多数の被害が出たことから、もう一段階上の基準を作ることとなり、柱などの接合部分を金具で補強したり、地盤の状況に応じた設計を義務化する目的で、約20年ぶりに「建築基準法改正(2000年)」が行われることになりました。
また同時に新築住宅の性能表示制度など住宅の品質を等級を用いて評価する「住宅の品質確保の促進等に関する法律(2000年)」も施行されました。
さらに東日本大震災(2011年)では、建物の天井落下による被害が相次いだことから、天井に関する新たな安全基準が設けられることになり「建築基準法改正(2013年)」「マンション建替えの円滑化等に関する法律(2014年)」が施行されています。
こう見ていくと耐震基準がたくさんあって複雑に思えますが、私たちが知っておくべき耐震基準は、基本的には次の…
・旧耐震基準:1981年5月までの基準で建てられた建物
・新耐震基準:1981年6月以降に建てられた建物
・現在の耐震基準:2000年以降の新築物件(住宅性能表示あり)
…3つだけを覚えておけばよいかなと思います。
同時多発で被害が発生する広域地震災害で重要なのは、建物を倒壊(全壊)させないことです。
全壊しなければ、怪我を負う人や、延焼・大火災のリスクも減りますし、狭い道路がガレキで塞がれて救援が入れない、といった事態も少なくなります。
自然災害を予知したり、災害自体を無くすことは今の科学力では不可能ですので、現時点では、災害が発生するという前提で、事前に建物の強度を増すことなどによる“減災(災害の被害を減らす)”を政府は目指しています。
“努力義務”ですから、それには、一人一人の協力が欠かせません。
《関連記事》
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◆執筆者
SEI SHOP(セイショップ)総合プロデューサー
平井敬也(ひらい ひろや)
防災士(日本防災士機構登録No.040075)、日本人間工学会会員。
1970(昭和45)年、東京都世田谷区生まれ。神奈川県横浜市在住。日本大学大学院で安全工学・人間工学を専攻。大学院修了後、大手ゲーム製造メーカーに入社、企画開発、PL(製造物責任法)担当や品質管理(ISO9000)に携わる。2001(平成13)年、災害用長期備蓄食〈サバイバル®フーズ〉の輸入卸元、株式会社セイエンタプライズ取締役に就任。阪神淡路大震災で家族が神戸で罹災、日常の防災意識や危機管理の啓蒙普及を企図した無料メールマガジン『週刊防災格言』を07年よりスタート。毎週月曜日に防災格言を発信し続け2万人の読者を得ている。
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