おはようございます。
石川県能登地方の地震から本日で2週間が経ちました。
令和6年能登半島地震で罹災された方々に、心よりお見舞いを申し上げます。
1月12日(金曜日)の報道では、仮設住宅の建設、孤立集落住人の集落単位の二次避難や、七尾市で海上輸送が始まるなど、生活再建へ向けた動きが始まりつつあるようです。
ただ、陸路では道路の寸断、渋滞、大雪、度重なる余震で作業が捗らないといいます。
初期の生活再建に欠かせない上下水道や電気などのライフラインの一日も早い復旧を祈るばかりです。
北陸電力によると、石川県内で損壊した電柱は1500本以上で県内1万2000戸以上で停電が続いていますが、損壊した配電施設の復旧に向けた動きも出てきました。
また、合計5万8千戸と、ほぼ全域で断水が続く輪島市、七尾市、珠洲市などでは、水道局による水道管調査も始まりつつあるといいます。
…さて、
今週の1月17日(水曜日)は、現代の大都市直下を震度7が襲った初の災害「阪神淡路大震災(1995年)」から 29年 です。
“ボランティア元年”と呼ばれた阪神淡路大震災を契機に、ボランティア活動の認識を深める日として「防災とボランティア週間(毎年1月15日から21日)」が創設されました。
先週の3連休初日、1月6日(土曜日)から能登半島地震で被害を受けた新潟県と富山県では、各地から集まったボランティアによる活動が始まっています。
・新潟県のボランティア情報
https://www.pref.niigata.lg.jp/sec/kenminseikatsu/060101volanteer.html
・富山県のボランティア情報(「被災地への支援をご希望の方へ」を確認の事)
https://www.pref.toyama.jp/1900/bousaianzen/noto_jishin_shien.html
しかし、その一方で、
甚大な被害を受けた石川県では、三連休の期間も県外からのボランティア受け入れは行われず、個人からの支援物資についても控えるよう呼びかけが行われました。
石川県の能登地方では、多くの地域でボランティアの受け入れ態勢が整っていない状況にあることや、能登方面へ向かう道路も深刻な渋滞が発生しています。
こうした中で個別に被災地へと向かおうとすると、支援物資の到着の遅れや、患者の輸送回数の減少などの救援活動に支障をきたす恐れがあるための措置です。
そのため、石川県への災害ボランティアを希望する場合は、必ず、事前に石川県が設置した特設サイト等で受け入れ状況をご確認するように呼びかけられています。
石川県では、災害ボランティア情報を一括して発信することを目的に
・石川県への災害ボランティア情報【特設サイト】
https://prefvc-ishikawa.jimdofree.com/
が開設されています。
被災地の状況は日々刻々と変わります。
今(1月15日現在)ボランティア支援を考えられている人は、必ず、上記のサイトなどで情報を確認しましょう。
… … … … … … … … … … … …
《※石川県の特設サイト「よくある質問」より》
Q. 石川県でボランティアとして活動したい
現在被災地では、救命活動やライフラインの復旧など応急業務が進められています。災害ボランティアについても、活動環境や受け入れ体制の整備を進めていますので、被災地への電話や個別の来訪などはお控えいただき、当サイト及び各市町村センターの募集情報を必ずご確認ください。
Q. 石川県に物資を送りたい
災害義援物資については、企業・団体からのまとまった規模の義援物資のご提供を専用ページから受け付けています。
*専用ページ⇒https://www.pref.ishikawa.lg.jp/kousei/kanri/2024jishin.html
なお、仕分け等の手間を考慮し、個人からの提供は受け付けないことといたしましたので、義援金等についてご検討いただければ幸いです。
また、現地への直接の搬入は、交通渋滞等により救命活動等の妨げとなる場合がありますので、くれぐれもご遠慮ください。
Q. 寄付金を送りたい
令和6年能登半島地震に係る災害義援金の受付について(石川県庁)をご確認ください。
*石川県・義援金受付⇒https://www.pref.ishikawa.lg.jp/suitou/gienkinr0601.html
個人からの支援物資の問題が報道されています。
1月11日(木曜日)のテレビ報道で、
FNN>「全国から支援も“期限切れ”食品 「避難所を何だと…」怒りの声 支援物資受け入れ一時中止」
…と「被災地に不用品が送られてきている」ことが大きな話題となりました。
避難所にできた支援物資の段ボールは、小学校の玄関を埋め尽くすほど山と積まれ、なかには、古着とみられる大量の洋服、賞味期限が切れたドリンクもあったといいます。
停電しているのに冷蔵庫や電子レンジが必要な食料品も届いているのだそうです。
各個人に判断が委ねられる個人からの支援物資は、きちんとした物もあれば、反対にゴミのような物まで、その品質にはかなりのバラツキが生じます。
そして、それらの物資を受け入れた自治体側では、被災者たちに安全に、できるだけ早く分配するために、仕分けを行なわなければなりません。
腐った食べ物を被災者に提供する訳にもいきませんから…。
この仕訳作業にはかなりの時間と労力(マンパワー)がかかります。
昔から、メディアで連日のように報道される局地的大災害の際には、全国各地から被災地に“善意の支援物資”が多量に送られます。
しかし、物資を受け入れる側の自治体も、大きな被害を受けた被災地なので、刻々と優先順位も変化するような緊急の状況下で、様々な対応に追われ疲弊しており、マンパワー不足で限られた人員を割く余裕もありません。
そのため、震災直後で混乱する時期の被災地への支援物資は、国や行政などの単位で一元管理して執り行い、個人レベルでは支援物資ではなく「できるだけお金(義援金)で」というのが、今では広く知られる有効手段ということになっています。
…支援物資と言えば、過去にこんなこともありました。
2018年7月の「平成30年7月豪雨災害(西日本豪雨)」
西日本豪雨災害では、西日本を中心に700人以上が死傷しました。
大洪水などで大きな被害を受けた岡山県倉敷市は、当初、全国から食料や服などの支援物資の提供を受け付けていました。
しかし、多量に送られ続ける物資を保管するスペースや、仕分けの職員が足りないため、避難所への配送作業が滞ってしまい「支援物資の受け入れを一時休止」と発表することになります。
7月の夏の災害だったのに、届いた物資の中には秋冬もののコートといった衣料品も多くあって、季節外れの冬物衣料に保管スペースが圧迫されてしまったのだそうです。
しかし、この岡山県倉敷市の発表にネットでは「せっかくの善意を無駄にするのか」という意見まででたといいます。
個人の支援物資はできる限り受け付けない、とされる理由(ワケ)
1993年7月12日の「北海道南西沖地震(M7.8)」では、揺れの直後に、奥尻島(当時の人口4,700人)に大津波が襲い、奥尻町青苗地区の住人ら230人が犠牲となりました。
この災害では、奥尻島には全国から190億円を超す義援金が集まるなどの復興特需も手伝って、5年後の1998年に、奥尻島は奇蹟的に「完全復興」を果たすことになります。
この当時、不眠不休の体制で奥尻島の復興政策を先導したのが、奥尻町長・越森幸夫(1930~2005)さんでした。
まだ復興半ばの時期となる災害から1年半後、神戸市を阪神淡路大震災(1995年)が襲いました。
震災直後、越森さんは、被災自治体の体験を伝えるために国会(参考人招致)に呼ばれ「個人の支援物資」についての貴重な助言をしています。
北海道南西沖地震の直後、全国各地から奥尻町に送られた支援物資は、ダンボール箱で30万個(3千トン)という膨大な量に膨れ上がりました。
奥尻町では北海道庁の協力を得て9千万円の予算をかけ、これらダンボール箱の仕分け作業を行いました。
その結果、衣類については、7割が使い物にならなかったそうです。
こうした体験から、越森町長は国会で、
“個人からの支援物資はできるだけ受け付けず、義援金としての援助をお願いすべき”
と訴えました。
※詳しくは越森幸夫(北海道南西沖地震時の奥尻町長)の防災格言をお読みください。
⇒https://shisokuyubi.com/bousai-kakugen/index-689
多量の支援物資を保管するには場所と費用がかかり、その仕分けにも人員とお金と時間もかかります。
災害直後の緊急時には行政の職員にはしなければならないことが山積するのですから、できるだけ個人からの物資支援は遠慮する、と自らの体験で訴えかけたのです。
私の記憶があまり定かではないのですが…、
“一般からの援助はお金で!”
“ The best thing people can do to help is donate money. ”
とは、1994年のアメリカ・ノースリッジ地震(ロサンゼルス地震)で、米国赤十字社( American Red Cross(ARC)
)がテレビで市民に援助を呼びかけたときに言ったフレーズだったかと思います。
当時、日本の新聞等では、援助の呼びかけもアメリカはストレートである、などと紹介したように記憶していますが…おぼろげです。すいません。
阪神淡路大震災のちょうど一年前、1994年1月17日早朝4時31分、米カリフォルニア州ロサンゼルス市の中心部をM6.7の大地震が襲ったのがノースリッジ地震(ロサンゼルス地震)です。
早朝の時間に人口密度の高い都市を襲った地震で、57人が命を失い、重軽傷者は5,400人、高速道路が崩壊するなどのインフラ被害で、当時の米国で史上最も経済的損害の大きな災害となりました。
地震で25,000棟の住居が全壊し、22,000人ものホームレスが発生。
地震後47,000ヶ所で避難所が開設され、22,000人以上の被災者が収容され、米国赤十字社で15,108人の職員と市民ボランティアが動員されたことで、迅速な救援活動が出来た災害として高く評価されることになりました。
この米国でのボランティアの成功体験があったことにより、翌年に日本で起った阪神淡路大震災では“ボランティア元年”と呼ばれる社会現象へとつながりました。
ただ、このノースリッジ地震(ロサンゼルス地震)では、問題もあったようです。
深刻な物資不足のため便乗値上げが頻発し、ピザ一枚で65ドル、当時の通常レートの4倍近い値段で食料や飲料水を売る悪徳業者が頻発したほか、米国のコンビニエンスストアチェーン「セブンイレブン」本部でも、被災地8店舗で不当な高値を付けたとして営業権(フランチャイズ)のはく奪が起こっています。
震源地近くのサンフェルナンドバレーの被災地には連日のようにビデオカメラ片手の見物客が押し掛けて、見物客目当てに震源地の地図入りTシャツを路上販売する便乗商売まで登場するなど、ロス市警も大いに困惑したそうです。
何れにせよ、このノースリッジ地震で大活躍したボランティア支援団体のレッドクロス(米国赤十字社)は、その後もたびたび米国各地を襲うハリケーン被害など自然災害の支援のたびに、
“個人が被災地を手助けすることができる最高のものは、お金を寄付することです ”
と一貫して主張するようになったように感じています。
さて、その後です。
2004年12月26日、インドネシアのスマトラ島北西沖のインド洋でマグニチュード9.1の超巨大地震が発生しました。
平均10メートル、最大で34メートルの大津波がインド洋沿岸を襲い死者227,898人をだす大災厄となりました。
当時のアメリカ合衆国大統領のジョージ・W・ブッシュさんは演説で、
“個人ができる最も重要な貢献は現金をだすことだ”
“The most important contribution a person can make is cash.”
と述べて、世界からひんしゅくを買いました。
政治家という職業イメージもありますが、彼の語彙というか、言葉の選び方にもだいぶん問題があったようです。
政治と金の「汚職のデパート」と揶揄されていた子ブッシュ大統領なので仕方ありません。
その後のオバマ政権では、政治献金の上限を設定し政治汚職を撲滅しよう、などと規制強化政策を主張していました。
…ですが、この災害復興では、ブッシュ大統領の果たした役割は、とても大きかったようです。
このスマトラ沖地震津波では、国際間の支援金の設定で、アメリカと中国が、自国の権益拡大を視野に入れて競い合いました。
善意の被災地支援よりも、極めて利己的な国家の思惑が入り乱れた結果、被害総額10億ドルと推定されたスマトラ沖地震津波の災害に、全世界から50億ドル(5000億円以上)という過去最高額の支援金が集まったといいます。
今では国際援助の“事例”として政治学者の議論となっています。
※詳しくはジョージ・W・ブッシュの防災格言をお読みください。
⇒https://shisokuyubi.com/bousai-kakugen/index-733
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◆執筆者
SEI SHOP(セイショップ)総合プロデューサー
平井敬也(ひらい ひろや)
防災士(日本防災士機構登録No.040075)、日本人間工学会会員。
1970(昭和45)年、東京都世田谷区生まれ。神奈川県横浜市在住。日本大学大学院で安全工学・人間工学を専攻。大学院修了後、大手ゲーム製造メーカーに入社、企画開発、PL(製造物責任法)担当や品質管理(ISO9000)に携わる。2001(平成13)年、災害用長期備蓄食〈サバイバル®フーズ〉の輸入卸元、株式会社セイエンタプライズ取締役に就任。阪神淡路大震災で家族が神戸で罹災、日常の防災意識や危機管理の啓蒙普及を企図した無料メールマガジン『週刊防災格言』を07年よりスタート。毎週月曜日に防災格言を発信し続け2万人の読者を得ている。
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