おはようございます。
東日本大震災(2011年3月11日)から 4,645日が経過しました。
今週の水曜日の11月29日は、1300年昔の奈良時代の歴史書「日本書紀」にも載っている歴史的な大地震「 白鳳地震(684年)」から1339年です。
この地震は「南海トラフの巨大地震」の記録に残る最古のものです。
南海地震と東海地震が同時に発生したマグニチュード9クラス(M8.3~9.0程度)の超巨大地震だったのではないかとも考えられています。
この地震で、四国の道後温泉や南紀白浜温泉の湧水が止まり、地盤沈下により四国土佐の田畑(約12平方キロメートル)が海中に沈んだとされていますが、あまりにも大昔のために、このとき地盤沈下した地域がどこだったかは、実はよくわかっていません。
南海トラフの巨大地震(南海トラフ沿いの巨大地震)は、有史以来、約90年~150年くらいの周期で繰り返し発生しているもので、一つ前に発生した昭和南海地震(1946年12月21日)から、80年近く経った現在、次の発生が最も心配されている大地震となっています。
2011年8月には識者を集めた「南海トラフの巨大地震モデル検討会」が内閣府内に設置され、種々の対策が進められていますが、今後30年以内の発生確率は 70%~80%程度 と試算されています。
さて、今週末(金曜日)から12月に入ります。
毎年12月1日~7日までの1週間は「 雪崩防災週間(12月1日~12月7日)」です。
日本は国土の半分以上が「豪雪地帯」に指定され、雪崩(なだれ)の危険箇所も二万箇所以上にのぼります。
雪崩防災週間は、平成元年からスタートしたもので、この期間には、国土交通省が中心となって、各地で雪崩の啓発イベント等が行われます。
雪崩といえば…
日本最悪の雪崩災害…
毎年、数十万人のスキー客が訪れる冬のリゾート地の湯沢。
ガーラ湯沢駅から数キロと離れていない場所に、新潟県南魚沼郡三俣村(みつまたむら)(現・湯沢町字三俣)があります。
三俣村は、大正時代の1917年末、総戸数101戸、人口609人が暮らす小さな村でした。
そんな村で、1918年(大正7年)1月9日(水曜日)深夜、いちどに180人が巻き込まれ158人が亡くなるという(一瞬で全住民の26%が亡くなる)日本史上で最悪とされる雪崩災害が発生しました。
災害は、ほとんどの住民が熟睡していた深夜11時30分に発生しました。
当時の気象状況…
1918年(大正7年)の元日から降り出した雪は、1月2日には猛吹雪となりました。
当時、日本列島の西側には中国本土から高気圧(1045hPa)が南下し、東側の千島列島に低気圧(922hPa)が停滞していました。
いわゆる、冬の寒さや荒れた天気をもたらす典型的な「冬型の気圧配置」というもので、このため、特に中越地方では、暴風雪が吹き荒れる、荒れた天気となっていたのでした。
連日の強風とともに雪は降り続き、1月9日には、三俣の積雪は3メートルを超えました。
例年、ひと冬に積もる雪の量の三倍の積雪が、この年のわずか一週間で降り積もったことになります。
大雪崩が発生…
1月9日、午後11時30分、三俣集落の東側にそびえる前山(東今野山)の海抜860メートル付近で、幅400メートルにわたって大規模な表層雪崩が発生しました。
大量の雪は、250メートルの高さから、距離にして約540メートルほど下っていき、三俣集落(海抜610メートル)に押し寄せました。
山の下側の三俣集落は、当時59戸の家々が建ち並んでいましたが、雪崩は、このうち約半数にあたる住家28戸、小学校1校、土蔵4棟を一瞬のうちに飲み込みました。
約4000坪の範囲が、約7メートルから9メートルの雪に埋れました。
深夜だったので、雪に埋もれ倒壊した小学校に犠牲者が一人も発生しなかったのが幸いでした。
しかし、遭難者180人中、救出されたのはわずか25人、救出後亡くなった3名を含め158人が亡くなる大惨事となりました。
救助活動…
大雪崩発生の急報は、深夜、猛吹雪の中を決死の覚悟で芝原峠を越えた水力工事の作業員によって、湯沢町役場にもたらされました。
役場から、郡役所、警察署へと急報が飛びましたが、余りの被害の規模に、報に接した誰もがこれをにわかに信じるこができませんでした。
郡役所では、ただちに各町村に救援を要請します。
在郷軍人会、消防団、青年団など、のべ1千名~2千名とよばれる大救助隊が編成され、翌10日早朝から、猛吹雪のなか数十キロの雪道を、長蛇の列をつくって続々と三俣集落へと到着していきました。
救出活動は昼夜休まず続けられましたが、折からの猛吹雪で作業が難航しました。
遭難者180人の救出活動は、三昼夜たった1月12日午後にようやく終わりました。
一説には、日本水力が近くで水路トンネルを掘削中で、この雪崩の時間に、作業員交代を告げるダイナマイト爆破があったともされましたが、今も爆破が原因とは確定されていません。
災害の翌年、1919年(大正8年)5月、犠牲者を追悼するための雪災記念碑が三俣宿の外れに建てられました。
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◆執筆者
SEI SHOP(セイショップ)総合プロデューサー
平井敬也(ひらい ひろや)
防災士(日本防災士機構登録No.040075)、日本人間工学会会員。
1970(昭和45)年、東京都世田谷区生まれ。神奈川県横浜市在住。日本大学大学院で安全工学・人間工学を専攻。大学院修了後、大手ゲーム製造メーカーに入社、企画開発、PL(製造物責任法)担当や品質管理(ISO9000)に携わる。2001(平成13)年、災害用長期備蓄食〈サバイバル®フーズ〉の輸入卸元、株式会社セイエンタプライズ取締役に就任。阪神淡路大震災で家族が神戸で罹災、日常の防災意識や危機管理の啓蒙普及を企図した無料メールマガジン『週刊防災格言』を07年よりスタート。毎週月曜日に防災格言を発信し続け2万人の読者を得ている。
【書籍】天災人災格言集―災害はあなたにもやってくる! ¥1,650(税込)