有事の議論は、しばしば戦略や防衛体制に集中します。しかし、社会の持続可能性という観点から見た場合、食料・物流の脆弱性は避けて通れません。台湾海峡危機を題材に、日本の食料供給構造の現状と限界を考察します。
軍事の陰で見落とされがちな論点
台湾海峡をめぐる緊張については、ここ数年、繰り返し語られてきました。
有事となった場合、日本がどのように軍事的に巻き込まれるのか、自衛隊はどこまで関与するのか、日米同盟はどのように機能するのかといった点が、議論の中心となっています。議論の焦点が軍事・外交に置かれるのは、当然のことといえるでしょう。
しかし、こうした議論の陰で、あまり正面から扱われてこなかった論点があります。
それは、「戦う以前に、日本社会は生活を維持できるのか」という問題です。
具体的には、食料は安定して確保できるのか、エネルギーは十分に供給されるのか、物流はどこまで機能し続けるのかといった、ごく基本的でありながら極めて本質的な問いです。
戦争は戦場で起きるが、危機は生活の現場にも及ぶ。
とりわけ日本は、食料もエネルギーも海外依存度が高い国です。台湾海峡危機は、軍事問題であると同時に、供給問題でもあります。本稿では、このうち食料に焦点を当てて検討します。
台湾海峡危機が発生した場合、日本の食料事情はどのようになるのでしょうか。この問いに対しては、識者の間でもかなり幅のある見通しが示されています。
最悪シナリオ
長期的な輸入途絶を前提に、日本社会が大規模な飢餓に陥るとする見方。
中間シナリオ
直ちに破局には至らないものの、配分の混乱や危機の長期化によって深刻な食料不安が生じるとする見方。
軽微シナリオ
外交的抑制や市場調整が機能し、混乱は限定的にとどまるとする見方。
以下では、それぞれについて代表的な見解を紹介します。
最もシビアなケース――「6000万人餓死」論の射程
最も衝撃的な議論として知られているのが、キヤノングローバル戦略研究所(CIGS)の研究者である山下一仁研究主幹による論考です。この議論は2022年以降、複数の論文や解説で示されており、共通する前提は明確です。
すなわち、台湾有事を契機に、
・ 日本への食料・飼料・肥料の輸入が長期間途絶する
・ 国際支援や限定的な輸送は期待できない
という、極めて厳しい想定が置かれています。
その結論として示されるのが、「現在の日本の人口約1億2000万人のうち、理論上生存可能なのは約6000万人程度」という数字です。
この数字は、感覚的に導き出されたものではありません。計算のロジックは、おおむね以下のような前提に基づいています。
- ・ 日本の耕地面積と作付け可能量
- ・ 輸入飼料が途絶した場合の畜産の急減
- ・ 肥料・燃料不足による単収の低下
- ・ 米を中心とした国内生産で賄える総カロリー量
これらを総合すると、最低限のカロリーを全国民に均等配分できる水準が、約6000万人分になるという結論に至る、のだといいます。
重要なのは、この議論が「予言」を示しているのではなく、構造的な限界点を示している点です。国家統制や配給制度の巧拙、国際政治上の例外といった要素を意図的に排し、「この構造のままなら、物理的にどこまで落ち込むのか」を明らかにしています。
したがって、この議論は「必ず6000万人が餓死する」という主張ではありません。むしろ、何の対策も講じず、最悪の条件が重なった場合には、ここまで崩れ得るという警告モデルとして読むべきでしょう。
中間的なケース――日本は「即死」ではないが安全でもない
これに対して、日本向けの経済・政策解説で多く見られるのが、中間的な見通しです。この立場では、より現実的な前提が置かれています。
台湾有事が起きたとしても、即座に全面封鎖に至ると限らないこと、まずは保険料の高騰、航路回避、輸送遅延といった「摩擦」が生じること、日本には国家備蓄と民間在庫が存在することなどが考慮されます。
そのため、数週間から数か月といった短期的な期間では、全国的な飢餓には直ちに至らないとされています。
ただし、この見方が強調するのは、問題の本質は「量」ではなく「配分」にあるという点です。
価格高騰によって購入できない層が生じる可能性や、業務用・大口需要が優先されること、地域間や所得階層間で格差が拡大することが指摘されているのです。
つまり、「国全体としては食料が存在していても、生活者のもとには届かない」という状況が起こり得るということになります。
さらに、危機が長期化すれば、飼料や肥料の不足が農業生産を圧迫し、最悪シナリオへと向かう可能性も否定できません。
この中間的な見通しは、破局論ほど刺激的ではありませんが、現実に起こり得る社会の姿を描いているといえます。
軽微なケース――市場と外交が機能する場合
三つ目は、比較的影響が限定的にとどまるとする見通しです。
これは、台湾海峡危機そのものが限定的に管理されることを前提としています。
米中双方に全面衝突を避ける合理性があること、グレーゾーンにおける緊張管理が継続されること、代替航路や国際協調が機能することなどが想定されます。
この場合、食料供給は一定の混乱を伴いながらも、致命的な崩壊には至りません。
価格上昇や品薄は生じるものの、「生存に直結する危機」には結びつかないという見方です。
ただし、このシナリオは短期かつ限定的な危機を前提としており、長期化やエネルギー危機との同時発生については、十分に踏み込んでいない傾向があります。
食料とエネルギー――切り離せない前提条件
ここで一つ補足しておくべき点があります。食料問題は、エネルギー問題と切り離して考えることができません。
農業機械は燃料で稼働し、肥料は天然ガスなどのエネルギーを用いて生産され、冷蔵・輸送・加工にも電力が必要です。
そのため、エネルギー供給が不安定になれば、食料は「量があっても使えない」状態に陥る可能性があります。台湾海峡危機では、原油やLNG輸入への影響も避けられません。
食料危機は、単独ではなく複合的な危機として現れる可能性が高い、といえます。
まとめ――「1か月分を持たない社会」は、危機に耐えられない
最終的にどのシナリオが現実となるかは、台湾海峡危機の深刻度や持続期間、国際社会の対応によって大きく左右されるでしょう。最悪の事態に至らない可能性も、限定的な混乱で収束する可能性も、いずれも否定はできません。
しかし、どのシナリオが最も現実的かを事前に断定できないからこそ、備えの水準は「甘くない側」に置くべきです。
「6000万人餓死」という最悪シナリオは確かに極端ですが、それを理由に「数日分の備蓄で十分だ」と考えるのは、現実を過度に楽観視しているといえるでしょう。
現実的に最も想定しやすいのは、中間的なケース、すなわち即座に破局には至らないものの、物流や市場の調整に少なくとも数週間を要する状況です。
この場合、船舶の再配船、保険や金融の再調整、輸入契約の組み直し、政府による備蓄放出と配分が実際に機能するまでには、数日では足りず、現実には1か月程度の時間を要します。
したがって、結論は明確です。
家庭・企業・地域は、原則として「1か月分の食料と水」を備蓄しておくべきです。これは極端な主張ではありません。国家備蓄は即時かつ無制限に配布されるものではなく、配給制度にも準備期間が必要となります。市場任せでは価格や入手可能性に偏りが生じ、エネルギー制約が同時に発生する可能性もあるのです。
1週間分の備蓄は初動対応としては有効ですが、社会全体が立て直しに入るまでの時間をカバーするには不十分でしょう。
だからこそ、
自助として、各家庭が最低1か月分の食料・飲料水・最低限の調理手段を確保すること、
共助として、地域が「1か月もたない状況に陥り得る人々」を把握しておくこと、
公助として、国家が1か月以上の空白期間を前提に備蓄と配分計画を設計すること、
この三層が同時に機能することが重要です。
この三層が、同時に機能してはじめて、社会は危機を乗り越えることができます。これは決して極端な主張ではなく、現実を直視した場合に導かれる最低限の備えであるといえるのではないでしょうか。






