おはようございます。
本日で、2011年3月11日の東日本大震災(M9.1)と福島第一原発事故から 14年(5149日)です。
2024年1月1日の令和6年能登半島地震(M7.6)から1年3か月(469日)です。
平成7年(1995年)1月17日の阪神・淡路大震災(死者6,437人、重軽傷者43,792人)から 30年 です。
本日(4月14日)は、2度にわたって最大震度7の揺れが観測された初の事例「 熊本地震(2016年) 」から 9年 です。
また、
今週4月17日(木曜日)は、昨年2024年に、南海トラフ巨大地震の想定震源域内の豊後水道(M6.6 深さ40km)で大きな地震が発生し、愛媛県と高知県で震度6弱が観測されてから 1年 です。
四国の愛媛・高知で同時に震度6が観測されたのは気象庁による観測史上で初めてのことだそうで、この時、「南海トラフ地震臨時情報」は発表されませんでしたが、この地震から約4か月後の8月8日の日向灘地震(M7.1
宮崎県で震度6弱)では「南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)」が史上初めて発表されています。
… … … … … …
…さて、先週から、
コメ価格は高どまり、トランプ関税による株価乱高下やら信用収縮で世界恐慌か!?
…とか、
はたまた「2025年7月(5日)」に大災難(巨大隕石か!?)がやってくる予知夢…だとか、
いろいろと“社会不安”の小ネタが、界隈で話題です。
人的と物的と金銭的に損害が生じたときに、人はそれを、「災害」や「災難」と定義しています。
《 当人がどれだけ注意していても
災難の大半はむこうからやってくる。 》
とは、東日本大震災を宮城県仙台市の自宅で体験した作家・伊集院静さんの言葉です(「大人の流儀」より)。
予知や予言があろうが、なかろうが、こうした自然災害や、ちょっとした災難は、昔からずっと私たちの近くで何度も繰り返し発生しており、それらは、いつでもどこでも突然やってくるものであることは、昔も今も、そして未来であっても変わらないでしょう。
つまり、何らかの不安に“備える”のは、別段今だけに限ったお話ではなく、災害や災難はいつでも起こり得るものだから、平和な今という日常から備えて暮らすのが安心、と思うのです。
災害への備えは、もしもの時に経済的負担を軽減する保険と同じです。たとえ保険に加入していても、100%の安全保障は担保されることはありませんが、保険に入っている人と、入っていない人のあいだには、金銭負担で確実な格差が生じるのです。
《 備えあれば憂いなし 》と中国故事で言われるように、備えは、生活に心の安心とゆとりを生みます。
だからこそ、この機会に防災(備え)をしてはみませんか?
「セイショップ」がお届けする「サバイバルフーズ」は、災害用の長期備蓄食糧のブランドで、皆さまに安心と健康をお届けしています。
昨年8月の地震(南海トラフ地震臨時情報)から完売した「サバイバルフーズ」シリーズの全商品(大缶・小缶・サプリメント)がやっと入荷し、全ての製品が出そろいました。
サバイバルフーズは、先週から販売再開です。
ぜひ備蓄しましょう!
サバイバルフーズは、国内生産で25年の超・長期保存が可能なクラッカーとフリーズドライ加工食品の「おいしい備蓄食」です。
小缶(約2.5食分)と大缶(約10食分)の2種類ご用意しており、1缶からご購入いただけます。
虹始見(にじはじめてあらわる)
本日4月14日(月曜日)は七十二候(1年を72に分けた暦)の「 虹始見(にじはじめてあらわる)」です。
冬になかった虹が現れ始める頃ですが、実際には、冬にも虹はでます。
ただ、雪が降る地域では、冬に虹を見る機会は滅多にありません。
これは、雨粒と異なり、雪の粒子が、太陽光の波長を屈折・分光できずに、七色(スペクトル)にならないためです。
俳句では、「虹」は夏の季語で、「冬の虹」は時雨空や、荒波立つ暗い海からのぼることから、夏の虹に比べて儚さを表すようです。
《 神は地上に おはし給はず 冬の虹 》飯田蛇笏(1885〜1962)
《 冬の虹 神在らぬ世も 人信ず 》小松崎爽青(1915〜2003)
熊本地震(2016年4月14日、16日)
…さて、
熊本地震(2016年)から 丸9年 が経ちました。
今回は、熊本地震について少し解説をいたします。
最近、テレビでは、大きな地震が発生した後の報道で、キャスターらが「余震」と言わなくなってきました。
それは「余震」という言葉が、最初の地震よりも規模の大きな地震は今後発生しない、という印象を視聴者に与えるからです。
今では、大きな地震の後は、「最初の地震と同程度の大きな地震に今後も注意ください」などと伝えるようになりました。
このような報道姿勢になったのは、2016年の熊本地震がきっかけでした。
熊本地震では、震度7(マグニチュード6.5)の大地震の28時間後に、同じ場所を、もっと大きな震度7(マグニチュード7.3)の揺れが再び襲ったのでした。
数日のあいだに同じ地域を2度にわたって震度7が襲った初めての地震事例が、この熊本地震でした。
※関連コラム
・余震と地震活動パターン(2024.02.19)
熊本地震(2016年)の概要
2016年(平成28年)4月14日21時26分、熊本県熊本地方の日奈久断層帯でマグニチュード6.5の地震(前震)が発生し、震央の益城町では最大震度7の大きな揺れが観測されました。
その28時間後、4月16日深夜1時25分には、ほぼ同じ場所の布田川断層帯でマグニチュード7.3の地震(本震)が起こり、西原村と益城町で最大震度7、熊本市、菊池市、宇土市、宇城市、合志市、大津町、嘉島町、南阿蘇村を震度6強の強い揺れが襲
いました。
この一連の地震活動では、その後3か月間で有感地震(震度1以上)が1,879回起っており、うち震度5弱以上の地震は19回(震度7:2回、震度6強:2回、震度6弱:3回、震度5強:4回、震度5弱:8回)発生しています。
●震度6弱以上の地震(前震・本震と余震)
4月14日21時26分 M6.5 震度7
4月14日22時07分 M5.8 震度6弱
4月15日00時03分 M6.4 震度6強
4月16日01時25分 M7.3 震度7
4月16日01時45分 M5.9 震度6弱
4月16日03時55分 M5.8 震度6強
4月16日09時48分 M5.4 震度6弱
地震の揺れによる死者50人(直接死)のうち、37人が家屋倒壊による圧死、10人は土砂災害に巻き込まれ、1人は火災、1人は塀の下敷きにより亡くなられました。
そして、この地震から約2か月後の6月20日から21日にかけて、被災地に線状降水帯が発生し、1時間雨量150ミリ、総雨量500ミリを超す猛烈な豪雨(平成28年梅雨前線豪雨)が降りました。
地震で地盤が緩んでいるところに大雨が降ったことから、土砂災害が多発し、熊本県・福岡県で死者・行方不明者7人をだす被害となり、そのうち、熊本市・宇土市・上天草市で亡くなった5人が、地震による土砂災害で亡くなったとされる「熊本地震による関連死」と認定されるに至ります。
死者278人(地震による直接死者50人、地震関連死者223人、その後の豪雨の関連死者5人)、重軽傷者2,809人、家屋全壊8,667棟、半壊34,493棟、一部損壊155,028棟をだす大災害となりました。(2025年4月11日現在)
熊本地震(2016年)でも大きく注目された「耐震」
熊本地震で、大きく注目されたものが、三つあります。
一つは、地震後に被災地を集中豪雨が襲った二次災害です。
昨年(2024年1月1日)の令和6年能登半島地震(M7.6)でも、復旧中の被災地に豪雨による多重災害が再び襲っています。
二つ目は、被災した歴史的文化財の復旧が長期化したことです。
地震の揺れで熊本城の石垣が大きく崩れました。天守閣は、発災5年後の2021年に完全復旧し、展示と最上階からの眺めを楽しめるようになりました。しかし、倒壊した石垣の修復など城全体の完全復旧は2052年まで(残り27年も)かかるといいます。
三つ目は、専門家のあいだで話題となったことですが、「耐震基準」についてでした。
木造家屋の被害では、新耐震基準法(1981年6月以降)以前の建物、いわゆる1981年5月よりも前に建てられた既存不適格建築(古い基準で建てられた新耐震基準を満たさない建築物)に被害が集中しました。
※国交省 > 熊本地震における建築物被害の原因分析を行う委員会 報告書(平成28年9月)
https://www.nilim.go.jp/lab/hbg/0930/report190416.htm
9割以上の住宅が損壊した最激震地の熊本県益城町では、熊本地震の報告書をみると、木造家屋全1,955棟のうち、27.0%(527棟)が全壊(倒壊または大破)し、一部損壊 51.9%(1,014棟)、被害がなかった無被害の家屋は
21.2%(414棟)と判明しています。
木造家屋の全壊のうち65.8%(347棟)が旧耐震(1981年5月以前)の家で、30.5%(161棟)が新耐震基準(1981年6月〜2000年5月)の家、3.6%(19棟)が現在の耐震基準(2000年6月以降)の家が占めました。
無被害(414棟)だった家のうち、9.5%(39棟)が旧耐震(1981年5月以前)の家で、43.2%(179棟)が新耐震基準(1981年6月〜2000年5月)の家、47.3%(196棟)が現在の耐震基準(2000年6月以降)の家が占めていました。
とくに、旧耐震基準(1981年5月以前)で建てられた既存不適格建築全759棟のうち、無被害で無事だったのは、僅か5.1%(39棟)だった一方で、
現在の耐震基準(2000年6月以降)で建てられた家全319棟のうち、半数以上の61.4%(196棟)が無被害で無事だったことが分かりました。
最新の耐震基準による構造物の強度と安全性が、改めて確認された形でしたが、同時に、新しい問題点も分ってきました。
最激震地となった熊本県益城町では、地震の直前(約3年前)に鉄骨外付けフレームによる耐震補強がされたばかりだった益城町役場が、2度の震度7で大きく損傷し、全壊(倒壊危険判定による使用禁止)となりました。
最新の基準により耐震補強がしっかりされた益城町役場は、1回目の地震に耐えたものの、2度目の揺れで柱や梁に致命的(全壊判定)な損傷を受けたのでした。
耐震基準の安全性については、日本では非常に厳格な基準が設けられており、現在の「新耐震基準」でもっとも厳しい基準の「I類」では、
「 大地震でも構造体の補修をすることなく建築物を使用できることを目標(人命の安全確保と十分な建物の機能の確保が図られる)」
とされていましたが、
現在の「新耐震基準」の建物の強度は、1度目の大地震(震度7クラス)に耐えることが前提で、その後、何度も大きな地震が続くことまでは想定されていなかった、ことが、熊本地震では明らかとなりました。
※関連コラム
・家屋の倒壊と“キラーパルス”>「既存不適格」のお話しと耐震基準の歴史(2024.01.22)
段丘(川・湖・海等の沿岸に沿って形成される階段状の地形)
さらに、益城町では、被害の大きさに影響を与える地形的な特徴も分かりました。
建物の倒壊や地盤の変動が見られる被害の集中地域は、いわゆる、段丘とその境界斜面と言われる「段丘面」でした。
実際、2024年の能登半島地震でも、段丘で地盤の隆起や地滑りが多く見られ、これらの地形が地震の影響を受けやすいことが明らかとなっています。
地震に備える方法
いずれにせよ、地震による被害の軽減策では、人が長時間すごす家(建物)が無事であること、つまり“耐震設計”が重要であることに変わりありません。
そのため、家が古いかもしれない…と心配の人は、必要に応じ、自宅の耐震改修(耐震診断)をするようにして下さい。自治体によっては、改修費用などの補助も受けられるはずです。
家が無事なら、怪我のリスクも減り、生活空間も確保できます。これは、地震後もしばらく続く困難な罹災生活では、家が壊れて避難所暮しを余儀なくされた人とは、明らかに災害後の生活が異なります。
備蓄品を準備する前に、地震動の第一撃を安全に乗り切るため、まず家の強化、次に、家の中の物品や家具類の配置や転倒防止など、を考えると良いでしょう。
なお、家や建物自体の強化が難しいのであれば、次善策として“逃げることを中心とした防災”を考えるとよいかと思います。引っ越しや、避難所等への避難を中心とした対策で
すね。
防災の基本は“自助(自分で考え自分で行動する)”なので、簡単にあきらめず(思考停止せず)に、身のまわりの手の届く範囲から、命を守るにはどうするか、そして、命が助かった後どう暮らすか、を考えていきましょう。
命が助かって初めて備蓄品が役立つのです。(せっかく備えても死んでしまっては役立ちません)
一つ前の熊本地震(1889年=金峰山地震)
余談ですが、一つ前の熊本地震のお話をします。
1889年(明治22年)7月28日深夜23時40分、熊本市の金峰山麗を走る立田山断層を震源にマグニチュード6.3の直下地震「熊本地震(金峰山地震)」が発生しました。
この地震では、熊本城の東南から南部にかけての坪井川沿いの半径約20キロメートル四方に被害が集中し、住家400戸が全半壊し、死者20人、重軽傷者74人をだす被害となりました。
この地震でとくに問題視されたのは、実は、発災直後からの根拠のない「デマ(流言飛語)」でした。
ちょうど、この地震の一年前となる、1888年(明治21年)7月15日に、福島県の会津磐梯山(ばんだいさん)が大噴火し、福島県で多数の犠牲者(死者477人)が出ました。
まだ記憶の新しいニュースだったことから、熊本の被災者の間で「金峯山がもうすぐ噴火する」とか「地震のときに金峰山が爆発した」とのデマが飛び交い、地震直後から、噴火を恐れた住民らがごったがえしする騒ぎになりました。
すぐさま、地質学者の小藤文次郎(1856〜1935)らが金峰山に出向いて調査し「噴火の恐れはない」ことを確認し、「たとえ噴火したとしても、熊本市に危険は少ない」と結果を公表しました。
小藤文次郎は、《 怖るるなかれ、熊本の市民たち 》と題する論説を新聞紙面にだして、混乱の収拾に努めたのですが、それでも熊本市外へと逃げ出す人も多かったといいます。
実は、2016年の熊本地震では、地震発生直後に「熊本で動物園のライオンが逃げた」とSNSでデマツイートを拡散した神奈川県の会社員(20歳男性)が7月20日に偽計業務妨害容疑で逮捕される騒ぎも起きていました。
※関連記事
・小藤文次郎の熊本地震(金峰山地震)の防災格言
◆執筆者
SEI SHOP(セイショップ)総合プロデューサー
平井敬也(ひらいひろや)
防災士(日本防災士機構登録No.040075)、日本人間工学会会員。
1970(昭和45)年、東京都世田谷区生まれ。神奈川県横浜市在住。日本大学大学院で安全工学・人間工学を専攻。大学院修了後、大手ゲーム製造メーカーに入社、企画開発、PL(製造物責任法)担当や品質管理(ISO9000)に携わる。2001(平成13)年、災害用長期備蓄食〈サバイバル®フーズ〉の輸入卸元、株式会社セイエンタプライズ取締役に就任。阪神淡路大震災で家族が神戸で罹災、日常の防災意識や危機管理の啓蒙普及を企図した無料メールマガジン『週刊防災格言』を07年よりスタート。毎週月曜日に防災格言を発信し続け2万人の読者を得ている。
【書籍】天災人災格言集―災害はあなたにもやってくる! ¥1,650(税込)
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