おはようございます。
三連休はいかがお過ごしですか。
本日は、天皇誕生日 の 振替休日 です。
東日本大震災(M9.1)と福島第一原発事故から3月11日で 14年 (5100日) です。
令和6年能登半島地震(M7.6)から 1年2か月(420日)です。
平成7年(1995年)1月17日の阪神・淡路大震災(死者6,437人、重軽傷者43,792人)から 30年 です。
そして、ロシアのウクライナ侵攻(2022年2月24日)から今日でちょうど 3年 です。
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先週から、強烈な寒波が日本列島に襲来しています。
あいにくと、今回の寒波のピークが三連休にぶつかりました。
すでに北日本や本州の日本海側を中心に記録的な大雪となっている地域もありますが、今後も降り積もる雪に、十分お気を付けください。
予報では、連休明けには寒波が撤退し、全国的に気温が上昇に向かうそうです。
まだ寒い日は続きますが、今後、春の到来を感じられそうです。ただ、今度は、雪に代わって、関東から九州ではスギ花粉の飛散が本格化していくようです。
霧(きり)、靄(もや)、霞(かすみ)
昨日(2月23日)、七十二候(1年を72に分けた暦)の「 霞始靆(かすみはじめてたなびく) 」でした。
「霞(かすみ)」が春景色を彩りはじめ、遠くの山や景色が、ぼんやりとかすんで見え始める頃です。
さて、
大気中に浮ぶ小さな水滴や微粒子によって視界が悪くなる現象を「霧(きり)」と呼びます。
「霧(きり)」というものは、一年中どこでも発生しますが、実は、俳句の世界では霧は《 秋の季語 》なのだそうです。
だから、他の季節で霧を言う場合には、夏は「夏の霧」、冬は「冬の霧」と、いちいち断りを入れなければならないのですが、
ただ「春の霧」だけは「霞(かすみ)」と呼び、春の夜の霧のことは「朧(おぼろ)」と文学的に表現されます。
《 春なれや 名もなき山の 薄霞 》松尾芭蕉(1644〜1694)
《 花の顔に 晴れうてしてや 朧月 》松尾芭蕉(1644〜1694)
《 しら浪に 夜はもどるか 遠がすみ 》小林一茶(1763〜1828)
《 朧々 ふめば水也 まよひ道 》小林一茶(1763〜1828)
なぜ春に景色が霞むのか?
小さい頃に、不思議だなーと思った人も多いかと思いますが、冬に、遠くの景色まで綺麗に眺めうことができたのに、だんだん春になってくると、遠くの景色がなんだかぼんやりとしてくるのに誰もが気付きます。
これは、なぜかというと…。
気温が低い冬季は、空気中の水蒸気量が少なく、湿度も低く、空気が乾燥し、視界を妨げる水蒸気や微粒子が少なくなり、
また、ほかの季節に比べると、冬空は対流活動も少ないため、空気中の塵(ちり)や埃(ほこり)があまり舞い上がらずに、天気がよいと空気が澄んで、遠くまで見通しが良い訳です。
ところが春になって気温が暖かくなると、草木が芽吹いてくるので、植物の蒸散が活発となって、大気中の水蒸気量が増えてきます。
そこに花粉や、塵(ちり)や埃(ほこり)、また中国大陸から偏西風に乗ってやってくる黄砂などがあわさって、視界が悪くなり、遠くの景色がぼんやりと霞んで見えるという訳です。
春の景色で、まるで薄雲がかかったような、もやっとした視界になることがありますが、古来この状態を「霞(かすみ)」「春霞(はるかすみ)」と日本人は呼びました。
春の日中の「霞(かすみ)」と春の夜の「朧(おぼろ)」と呼び名を変えたのは、古代中国の漢詩で「朧月(ろうげつ)」と表現されたことからの影響だそうで…、
唐の詩人・白居易(はくきょい=白楽天 / AD 772〜AD 846)は、
“不明不暗朧朧月(明ならず暗ならず朧朧(ろうろう)たる月)”
と詠み、これをもとにして、平安の歌人・大江千里(おおえのちさと / 生没不明)は、寛平6年(894年)に…、
“ 照りもせず曇りも果てぬ春の夜(よ)の
朧(おぼろ)月夜に如(し)くものぞ無(な)き ”
(「新古今和歌集」春)
と歌ったのが「朧月(おぼろづき)」が登場する日本最古の和歌なのだそうです。
昼と夜で異なる言葉を使うことで、時間帯や情景の違いをより細かく表現する日本語文化の豊かさが感じられます。
春の夜の月がほのかに霞んでいる情景は「朧月夜(おぼろづきよ)」として知られ、千年昔の平安絵巻「伊勢物語」や「源氏物語」にも登場することになり、俳句の世界では「朧月」も、霞と同じく春の季語となっています。
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さて、説明してきた通り、霧(きり)も靄(もや)も霞(かすみ)も、気象現象としては同じ“モノ”のようです。
そのうち「霧(きり)」と「靄(もや)」は気象用語(気象庁の予報用語で定義される)であるものの、「霞(かすみ)」は気象用語ではないそうで、
気象上の定義では、「霧(きり)」は主に秋に視界が1km未満に悪くなる現象を指し、「靄(もや)」は冬に視界が1km以上10km未満になる現象を言うそうです。
余談ですが…。
大昔のヒット曲に「霧の摩周湖」(作曲:平尾昌晃、作詞:水島哲、歌:布施明)というのがありますが、
北海道の摩周湖は、世界有数の透明度を誇るカルデラ湖で、周囲を高いカルデラ壁に囲まれているため、霧がたまりやすい地形です。
そのため、古来から霧が湖面を覆う幻想的な光景が特徴で、アイヌの民からは、神の湖(カムイトー)と呼ばれ、神秘の場所とされてきました。
霧が湖面を覆うと、湖全体が見えなくなることもありますが、霧が晴れると「摩周ブルー」と呼ばれる美しい青色の湖面が現れます。この変化する景色は非常に神秘的で、多くの観光客を魅了します。
刻一刻と変わる摩周湖の霧の情景は、旅行のたびに異なる美しさを楽しむことができます。
凶作風「山背風(やませ)」(三陸沿岸地方)
ただ、私たちの日常生活のなかでは“霧”は大問題で、道路や空の便、そして船舶の航行など交通障害を引き起こすばかりか、夏に東北から北海道の太平洋側の地域を襲う濃霧は、日照不足による深刻な農業被害を生じさせます。
北海道、東北、関東などの太平洋岸では、春から夏(5月〜9月)頃に、東または北東寄りの風が吹きます。
東北の三陸沿岸の地方では、この風を「山背風(やませ)」と呼びました。
山背風は、寒流である親潮の上を通過するため冷たく、湿度が高いのが特徴で、この風が吹くと、冷たい空気が海上を通過するため、濃霧や霧雨も発生しやすくなります。
霧を含んだ寒い「山背風」が夏の時期に長く続くと、日照不足と低温により水稲などの作物に深刻な冷害をもたらしました。
とくに三陸沿岸の人々は「凶作風」や「餓死風(がしふう)」などと呼びこの風を恐れたといいます。
歴史上の飢饉として知られている、
宝暦5年(1755年)の「宝暦の飢饉」、
天明3年(1783年)の「天明の飢饉」、
天保7年(1836年)の「天保の飢饉」、
明治38年(1905年)の「東北凶作」、
昭和9年(1934年)の「東北大凶作」
などは、何れも東北を中心に冷湿な山背(やませ)が吹いたことによる冷害なのだそうです。
凶作に備える
享保17年(1732年)の夏には、西日本を中心に害虫の雲霞(うんか)が異常繁殖して稲を食い尽くし、江戸四大飢饉「亨保の大飢饉」が始まりました。
このとき、松山藩筒井村の農民である作兵衛が
《 農業は国の基、種子は農業の本 》
という言葉を残して亡くなりましたが、村人たちは作兵衛が残した種籾で次の年を乗り切ることができました。
天明の大飢饉(1783年)の際に、米沢藩主の上杉鷹山公は重臣の莅戸善政に救荒食(非常食)の手引書「かてもの」の作成を命じました。
この書のおかげで、後の天保の飢饉(1836年)では、米沢藩から一人の餓死者も出さずに済みました。
米沢藩で刊行された手引書「かてもの」には、
《 豊かなる今日より、万々一の日の心がけいたすべく候。
今の豊かなる日によくよく心得させよとの御事に候条、
油断すべからざるもの也。 》
の一文が添えられています。
飢饉に備えるには、日常から油断せずに、非日常を想定して備えることが大切です。
※関連記事
・義農作兵衛の「享保の大飢饉」(2009.03.23)
・米沢藩主・上杉鷹山公「宝暦の飢饉」の名言(2010.04.12)
・救荒食(非常食)の手引書「かてもの」と米沢藩家老・莅戸善政[1](2008.03.17)
・救荒食(非常食)の手引書「かてもの」と米沢藩家老・莅戸善政[2](2011.12.05)
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◆執筆者
SEI SHOP(セイショップ)総合プロデューサー
平井敬也(ひらいひろや)
防災士(日本防災士機構登録No.040075)、日本人間工学会会員。
1970(昭和45)年、東京都世田谷区生まれ。神奈川県横浜市在住。日本大学大学院で安全工学・人間工学を専攻。大学院修了後、大手ゲーム製造メーカーに入社、企画開発、PL(製造物責任法)担当や品質管理(ISO9000)に携わる。2001(平成13)年、災害用長期備蓄食〈サバイバル®フーズ〉の輸入卸元、株式会社セイエンタプライズ取締役に就任。阪神淡路大震災で家族が神戸で罹災、日常の防災意識や危機管理の啓蒙普及を企図した無料メールマガジン『週刊防災格言』を07年よりスタート。毎週月曜日に防災格言を発信し続け2万人の読者を得ている。
【書籍】天災人災格言集―災害はあなたにもやってくる! ¥1,650(税込)
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