おはようございます。
東日本大震災と福島第一原発事故から 13年 (4932日) です。
元日の令和6年能登半島地震から8ヶ月 252日 です。
南海トラフ臨時情報「巨大地震注意(8月15日17時に終了)」の初発表から 1ヶ月(33日)です。
明日、火曜日(9月10日)は、600年に1度の豪雨でダムが決壊し、8,000人以上が亡くなった「リビア洪水(2023年)」から1年 となります。
そして、今月は「 関東大震災(1923年9月1日)」から101年目 を迎え、各家庭が防災を考える「 防災月間 」です。
この9月の防災月間で、ご家庭や会社の防災力の底上げをしましょう!
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※8月8日の南海トラフ地震臨時情報「巨大地震注意」の発表を受け、ご注文(問合せ)がたいへん混み合っております。
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重陽(ちょうよう)の節句です。
たぶん史上最高に暑い夏を更新するであろう今期…、
まだまだ残暑のきびしい日が続いてはいるものの、本日(9月9日)は、五節句「 重陽の節句 」で、白露の秋を迎えることになりました。
これから仲秋(ちゅうしゅう)となりますので、今後は、だいぶん涼しく過ごしやすくなってまいります。
中秋節(十五夜の月見)は中国の法定祝日なのだとかで、秋の収穫期前の農業期としても、夜の過ごしやすさからくる食事や酒の旨さなども手伝って、国際的にも皆が待ち望んだ、過しやすい季節ということかもしれませんね。
…で、
節句(せっく)と言うのは、五節句(五節供)といって、1月7日(人日の節句)、3月3日(上巳の節句)、5月5日(端午の節句)、7月7日(七夕の節句)、9月9日(重陽の節句)をお祝いし、その季節にちなんだものを神様や祖先に供える昔からの習わしです。
古墳時代から飛鳥時代に伝わったとされる「陰陽五行」の思想では、数字の奇数を縁起の良い「陽」とし、偶数は縁起の悪い「陰」とする考え方がありました。
つまり、陽の数である「9」が、9月9日には重なるので、その日を重陽や重九といって有り難く祝ったのです。
節句は、他の五つの節句とともに中国から日本に伝来し、平安時代に宮中の年中行事となりました。
そして、この五節句は、宮中の年中行事のなかでも特に重要な日とされたことから、民間にも広まっていきました。
1月7日の人日の節句(七草の節句)は、七草がゆを食べる習わしで現代まで伝わっています。
3月3日の上巳の節句(桃の節句)は、女の子の祭事「ひな祭り」として、
5月5日の端午の節句(菖蒲の節句)は、男の子の祭事「五月人形」や「こいのぼり」で祝い、
7月7日の七夕の節句(七夕祭り、星祭り)では、短冊に願い事を書き、夜空に輝く織女星と牽牛星に供えます。
しかし、9月9日の重陽の節句(菊の節句)だけは、何の行事もありません。
…不思議ですね。
どうやら、五つの節句のなかで、重陽の節句(菊の節句)だけ、季節感が合わなくなってしまったことから、今では行事もなく、ほとんど忘れ去られてしまったようです。
重陽の節句と菊の花
9月9日の重陽の節句は、旧暦では“菊の花が咲く頃”ということで、別名「 菊の節句 」とも呼ばれています。
古代中国には、この日に近くの小山に登って、菊の花を浮かべた酒を酌み交わし、災厄を払い、不老長寿を願う風習(故事)がありました。
香り高く気品のある菊の花は、邪気を払い寿命を延ばすと伝えられ、平安時代から、縁起の良い重陽の節句(9月9日)に邪気を祓い、長寿や繁栄を祝うために菊花酒(菊酒)を飲む風習が伝わりました。
民間にも、菊の節句に菊合わせといって、菊を鑑賞する行事が各地で行われるようになります。
一説には、天武天皇14年(西暦686年)に菊見の宴が行われたのが日本での始まりとされています。
しかし、現在の新暦で9月9日は、まだ秋の入り口となりますから、“菊の花” の開花には少し早いようです。
たくさんの菊花が咲き乱れ、日本各地で開催される「 菊祭り 」は、だいたい10月〜11月に開催されるものです。
旧暦(9月9日)は、今の新歴だと一ヶ月遅れの(10月11日)となりますので、やはり旧暦のほうが実感が湧きますね。
それでも、新暦9月9日頃には早咲きの菊の花も咲くようですので、ギリギリ菊の節句と呼べなくもありませんが…。
重陽の節句(菊の節句)だけ、日本人になじみがない節句となってしまい、忘れ去られてしまった理由は諸説ありますが、恐らくこんなことだろうと思います。
明治時代まで、宮中行事だった五節句は全て祝日とされていましたが、明治5年(1872年)の旧暦(太陰暦)から新暦(太陽暦)に改暦された際に、五節句が廃止され、それぞれの節句も国民の祝日ではなくなりました。
※5月5日だけ「こどもの日(祝日法)」として名残があります。
その後も、節句の祭りの伝統は、庶民の中に残り続けたものの、新暦となっては、祭りの中核「菊の花」がほとんど準備できない重陽の節句(菊の節句)だけは、余りにも季節感がズレ過ぎていたようです。
同じように、上巳の節句(桃の節句)の「花桃(桃の花)」も旧暦と新暦では開花時期にズレが生じますが、室町時代あたりから桃の花よりも「ひな飾り」のが重要視されるように行事が変化したため、季節感のズレを感じずにすんで、行事として生き残ったのかもしれません。
重陽の節句(菊の節句)の不幸は、祭りのメインが、香り高く気品のある「菊の花」そのものだったことです。
そんな改暦の裏事情を想いながら、今夜は、菊の名のつく日本酒(「菊姫」「菊美人」「菊勇」「三芳菊」「千代菊」「菊政宗」…たくさんありますね)を飲んで、健康長寿に邪気払いを願うのもよいかもしれません。
《 草の戸や 日暮れてくれし 菊の酒 》松尾芭蕉
《 早く咲け 九日も近し 菊の花 》松尾芭蕉
《 秋を経て 蝶もなめるや 菊の墓 》松尾芭蕉
雑節「二百二十日(にひゃくはつか)」
明日9月10日(火曜日)は、雑節「二百二十日(にひゃくはつか)」です。
立春から数えて220日目にあたる日で、210日目の雑節「二百十日(にひゃくとおか)」とともに、古来からこの日に台風が来ると言い伝えられてきた農家の厄日となります。
読者諸氏には、またか、と思われることでしょうが、9月からは災害史でも大きな台風被害が多いのも事実です。
地震学者で地理学者の武者金吉(1891〜1962)は、随筆「低気圧の話」(1921年)」で《 二百十日は荒れ日と称して、今尚ほ人の怖るゝ所となっている。》として以下のように雑節(暦)に記された理由を解説をしています。
《 二百十日は立春から二百十日目の日を意味するのであるが、この日に限って台風が襲来すると云ふ理屈はない。
二百十日が暦に載るやうになったのは、比較的新らしいことで、今を距る(へだたる)こと二百四十年程前の貞享年間のことである。
当時暦学者に安井春海(※後の渋川春海)と云ふ人があって、ある日釣に出掛けやうとて、船頭を雇はうとした。然るに船頭の曰く、本日は立春から二百十日に相当する。
自分が五十年来の経験では、二百十日目或は二百二十日目には、必ず暴風がある。左様なれば本日は御見合(おみあわせ)ある方然るべしと云ふ。春海は半信半疑で帰宅したところ、果せるかな、午後から暴風となったので、大に感服して、毎年試して見ると、年々船頭の言葉の通りである。そこで幕府に上申して暦に記入することになったのである。 》
8月31日の雑節「二百十日(にひゃくとおか)」とともに、この時期には、天候が悪くなって収穫前の農作物が被害に遭わないよう祈願する目的で、各地で「風祭」を行う風習が今も残っています。
《 二百二十日 眼鏡が飛んで 恐しや 》高浜虚子(1874〜1959)
《 八方に 二百二十日の 湖荒るる 》稲荷島人(1910〜2011)
◆執筆者
SEI SHOP(セイショップ)総合プロデューサー
平井敬也(ひらい ひろや)
防災士(日本防災士機構登録No.040075)、日本人間工学会会員。
1970(昭和45)年、東京都世田谷区生まれ。神奈川県横浜市在住。日本大学大学院で安全工学・人間工学を専攻。大学院修了後、大手ゲーム製造メーカーに入社、企画開発、PL(製造物責任法)担当や品質管理(ISO9000)に携わる。2001(平成13)年、災害用長期備蓄食〈サバイバル®フーズ〉の輸入卸元、株式会社セイエンタプライズ取締役に就任。阪神淡路大震災で家族が神戸で罹災、日常の防災意識や危機管理の啓蒙普及を企図した無料メールマガジン『週刊防災格言』を07年よりスタート。毎週月曜日に防災格言を発信し続け2万人の読者を得ている。
【書籍】天災人災格言集―災害はあなたにもやってくる! ¥1,650(税込)