おはようございます。
東日本大震災と福島第一原発事故から 13年 (4897日) です。
元日の令和6年能登半島地震から 7ヶ月(217日)です。
——————————
★夏季休業日:8/13(火) – 15(木) まで
詳細は⇒https://www.seishop.jp/blog/2024summer/
ネットショッピングは毎日休まず自動受付しておりますが、休業期間は発送業務やメールの返信はお休みです。
休み中にいただいたご注文商品の発送は、8月16日(金曜日)以降より再開いたします。
——————————
★メルマガ「防災格言」が書籍になりました!
詳細は⇒https://www.kohzansha.com/tankoub10.html
ご住職の専門誌「月間住職」の出版社・興山舎様より、平井敬也著『天災人災格言集』として電子書籍版の配信を開始
【Kindle版『天災人災格言集』をamazonで購入する】
⇒https://amzn.to/4bpKkhc
——————————
8月「葉月(はずき)」に入りました。
「はづき」の由来には、葉の落ちる月という「葉落月」からとか、初めて雁が飛来する「初来月(はつきづき)」とか、稲穂の張る月「穂張月(ほはりづき)」からとか諸説あるようです。
8月に入って、毎日のように猛暑を記録していますが、各地ではスコールのように、ときどきゲリラ雷雨が降っています。
昨日も各地で激しいゲリラ雷雨が降り、伊丹空港では落雷もあり、関西電力の管内約1万4000軒超が停電となったり、京都市では豪雨で鴨川河川敷の「鴨川納涼」イベントが急遽中止になるなど報道されていました。
暦の上でも、先週8月1日(木曜日)は、夕立が時々ある頃という意味の七十二候(1年を72に分けた暦)の「大雨時行(たいう ときどき おこなう)」を迎えています。
今週は上空(1万メートル)付近の高気圧が弱まってくるそうで、大気の状態が不安定となって、雷雲が発達しやすく、西日本や東日本では空が安定せずに「ゲリラ雷雨」に注意が必要そうです。
今週は、出かけるときにカバンに一本傘を準備しておきましょう!
そして、今週8月7日(水曜日)は「 立秋 」となります。
まだまだ暑い盛りですが、暦の上ではこの日から「秋」ということになります。
秋というと、ときおり涼風を感じるような季節感となっていきますが、同時に、台風シーズンにも入ってくることを意味します。
今後は、より一層、天気予報に耳を傾けるようにしていきましょう。
… … … … … …
さて、本日8月5日(月曜日)は
「土用丑の日(二の丑)」です。
今年の夏の「土用の丑の日」は二回あって、今日が今年最後の夏の丑の日となります。
やっぱり、暑い夏は、うなぎが食べたくなりますね。
…かといって、うなぎはとてもお高く“高嶺の花”というイメージがあります。
思い起こせば、私の幼少時代、うなぎの蒲焼と言えば、その昔はもっと庶民的な食べ物という認識でした。
うなぎの蒲焼の値段は、今から10年ほど昔に高騰して以来、それからずっと高止まりの横ばいの状態が続いているそうです。
うなぎの供給量が回復傾向にある昨今でも、うなぎと言えば、まだ値段がお高い(高級食材)イメージが根強いのです。
簡単に調べてみると、1960年代には、100グラム(1人前)あたり250円ほどでした。安い!
バブル(1980年代後半)の頃に800円ほどに上昇して、2000年代に500円ほどにいったん下がったそうですが、今は1,500円くらいが相場なのだとかで、ちょっとした和牛並みですね。
うなぎの価格がここまで高くなったのは、うなぎの資源量が減少し、需要と供給のバランスが崩れてしまったからだそうです。
うなぎの稚魚のシラスウナギの日本での捕獲量は、約60年前の1960年代には年100トンあったそうですが、1990年代に初めて20トンを割り込んで以降、その後は減少を続けて、2010年に10トンを下回り、2019年には3.7トンまで激減しました。
ついには、2013年2月に環境省で「ニホンウナギを絶滅危惧種(1B類)」に指定されるようになって、その後の漁獲抑制やウナギ養殖の許可制度など資源保全策が進み、絶滅危惧種指定から10年で供給量は徐々に回復してきたそうです。
現在、ウナギの完全養殖の実用化研究が進んできていますが、天然のシラスウナギと比べると、まだ3倍以上の価格差があり、完全養殖までには生産コストなどいろいろと問題があるのだそうです。
昔のように“庶民の味”まで価格が戻ってくるとよいですね。
猛暑日(35℃以上)観測297地点、史上最多を更新
…さて、毎日のように災害級の暑さが続き、熱中症警戒アラートが鳴り響いています。
昨日8月4日(日曜日)、高知県の江川崎と群馬県の桐生で39.2℃が観測されるなど、35℃以上の猛暑日が全国297地点で観測されました。
1日の猛暑日の観測地点数のこれまでの過去最多記録は、2013年8月11日に観測された296地点でしたが、昨日の暑さはこれを上まわり、気象庁の統計開始以降で、史上で最も多い「297地点」で猛暑日が観測されたのだそうです。
昨年来のエルニーニョとラニーニャ現象の47年ぶりの連続発生や、日本の太平洋岸を流れる暖流「黒潮大蛇行」の過去最長の8年にわたる長期化問題やら、今年は、地球全体が史上最も暖かった昨年を上回るハイペースで気温上昇中のようで、地球温暖化問題はますます深刻さを増していきそうです。
多少安心することを述べると、「観測史上最多を更新」と言っても、日本全国の観測開始地点で気温統計が取られたのは、早いところで1872年、遅いところで1969年だそうなので、まだまだ歴史は浅い記録ではあります。
MLBの大谷翔平選手の活躍で、野球の記録更新が話題ですけれども、メジャーリーグの歴史を紐解けば、米国で最初のプロチームのシンシナティ・レッドストッキングズが結成された1869年以来ということになるので、日本の気象観測の記録も、このメジャーリーグ並みの100年ちょっとの歴史ということになりそうです。
気象観測所(地域気象観測所)は何地点あるのか?
気象の観測地点とニュースでよく耳にしますが、そのN数はいったい何地点あるのか気になりました。
気象観測の項目(気圧、気温、湿度、風向、風速、降水量、積雪の深さ、降雪の深さ、日照時間、日射量、雲、視程、大気現象など)ごとに観測地点はばらけているようです。
よく聞くアメダスは、地域気象観測システム観測網「アメダス(AMeDAS=Automated Meteorological Data Acquisition
System)」の略で、雨、風、雪などの時間ごとの気象状況を、地域的に細かく監視するためのシステムとなっており、これで降水量、風向・風速、気温、湿度の観測を自動的におこなっているのだそうです。
アメダスは1974年11月から運用開始されて、現在は、降水量観測の観測所は全国に約1,300か所(約17km間隔)あるのだといいます。
このうち、約840か所(約21km間隔)のアメダスでは降水量に加えて、風向・風速、気温、湿度を観測しているほか、雪の多い地方の約330か所では積雪の深さも観測しているのだそうです。
つまり、上のニュースの「猛暑日が全国297地点」は、気温観測が可能なアメダス全840か所のうち297か所(約35%)で猛暑日が観測されました、という意味になりそうです。(間違っていたらすいません)
そして、これらの気象観測所(地域気象観測所)は、それぞれの地方ごとの気象台や測候所が管轄して管理運用されているようです。
気象庁には現在、日本全国の61か所に気象台・測候所があって、ここで、気圧、気温、湿度、風向、風速、降水量、積雪の深さ、降雪の深さ、日照時間、日射量、雲、視程、大気現象などの気象観測が日々行われて統計が取られているみたいです。
また、このほかに、過去に測候所があったものの、現在は無人化されている「特別地域気象観測所」と呼ばれる観測地点が全国に94か所あり、ここで地上気象観測装置を使った自動観測のみが日々行われているのだそうです。
尚、気象観測の装置には、地上気象観測装置、有線ロボットの二種類があって、そのうち有線ロボット気象計には、降水量、気温、風向、風速、相対湿度を観測と日照時間の推計値を提供することができる「有線ロボット気象計」、降水量、気温、風向、風速を観測できる「有線ロボット気象計」と、降水量を測る「有線ロボット雨量計」、積雪の深さを測る「有線ロボット積雪深計」の四つがあって、それぞれの観測地点に設置されているそうです。
気象観測装置は時代とともに古くなって壊れたりして、性能の良いものに更新されていくものでしょうから、あくまでも現時点(2024年8月現在)ということなのでしょうね。
… … … … … …
アメダスと言えば…、
木村耕三(1913〜1983 / 気象庁観測部長 理学博士)博士
です。
降雨量を早期把握し災害対策につなげようというアメダスのシステムを考えた人物が木村耕三博士です。
しかし、日本の気象界隈では、アメダスを開発した伝説級の功労者であるにも関わらず、今では、博士の名前やその功績は、ほとんど話題にあがることはありません。
なかば意図的なのでは?と思うほど木村博士の情報は気象関連のサイト上にでてくることがありませんが、それは恐らく、気象庁を退官する際に書いた『三陸へ逃げる』という一冊の本に原因があるように思います。
東京赤坂で生まれ育った木村耕三博士は、父親は東京銀座の開業医で、裕福な家だったようです。
泰明小学校(中央区立泰明小学校)にいた10歳のとき、関東大震災に遭遇します。
中学・高校では成績が悪かったそうで、東京の自宅から通学ができ、受験者数が定数を下まわって無試験入学できるという「楽がしたい」という理由だけで東京大学理学部地震学科を受験し合格。
地震学教室では、海洋学者の小倉伸吉(1884〜1936)、気象学者の藤原咲平(1884〜1950)、地震学者の松沢武雄(1899〜1989)らに師事し、卒業後は、気象台の地震担当、気象担当となりました。
1940年(昭和15年)に徴兵され満州の関東軍気象隊に幹部候補生(後に予備役中尉)として従軍。偵察機で満州の空を飛び回り、ソ連の気象暗号の解読などの任にあたったそうです。
木村博士は、大柄で顔だちも立派、たいへん格好もよい二枚目の江戸っ子でした。ドイツ語の書籍を窓際で読むインテリでありながらも、ウィットに富んだ冗談を言って周囲の兵士を笑わせるというような面倒見の良い親分気質もあり、軍隊では独身将校のリーダー格だったそうです。
新京で日本敗戦の報に接し、その後、ソ連軍捕虜となって二年間の遼東半島での労役に服しました。
1947年(昭和22年)ソ連軍から解放され博多港に帰国します。
その後は中央気象台(気象庁)の予報課、千歳測候所長、旭川地方気象台長、気象庁観測部測候課長、同部長を歴任し、1974年(昭和49年)に気象庁を定年退職すると、
《 地震対策の遅れている今の東京では怖くて暮らせない 》
と公言して、生まれ故郷の東京を脱出し、なんの縁もゆかりもなかった三陸地方(岩手県気仙郡三陸町越喜来=現在の大船渡市三陸町越喜来)の地へと家族とともに移住しました。
このとき、なぜ地震と気象のプロだった自分が、東京を捨ててまで、歴史的にも地震多発地帯の三陸地方へと逃げる決断をしたのか、を著書『三陸へ逃げる』を出版し、そのなかで克明に記しました。
木村博士は、著書のなかで、
《
関東大震災と戦時の体験から、組織の上層部がいざとなると自分のことしか考えず、事態の収拾に責任を果たさずに、結果として大衆を見捨ててしまう、というような「同胞を無為に苦しめている事例」を見るにつけ、関東大震災のときに体験した「竹槍の恐怖」を思い出した…
》
などと書いています。
この時期、関東地震「69年周期説」が発表され、小松左京のSF小説「日本沈没」なども発売された頃で、ちょうど首都圏を再び大地震が襲う、という話題が大きな社会的な関心事でした。
元・気象庁観測部長を務めたほどの科学者が、大地震時の首都東京の危険性について身を挺してまで警告した著書『三陸へ逃げる』は、「人心を惑わす不届きもの」との誹りとともに、マスコミで大いに話題になりました。
ちなみに、アメダスという名前も、当初「A・M・D・A・S=アムダス」となる予定だったそうですが、木村耕三博士が「アメダス」のほうが「雨を出す」と連想できるから面白いと言って「Meteorological」の部分を「M」でなく「Me」として「A・Me・D・A・S」に変更したのが始まりだそうです。
尚、『三陸に逃げる』は絶版ですが、当時の話題本ですから、今も古書で割と手に入れやすいと思います。
※今回の冒頭コラムに関連する平井の過去コラム
◆執筆者
SEI SHOP(セイショップ)総合プロデューサー
平井敬也(ひらい ひろや)
防災士(日本防災士機構登録No.040075)、日本人間工学会会員。
1970(昭和45)年、東京都世田谷区生まれ。神奈川県横浜市在住。日本大学大学院で安全工学・人間工学を専攻。大学院修了後、大手ゲーム製造メーカーに入社、企画開発、PL(製造物責任法)担当や品質管理(ISO9000)に携わる。2001(平成13)年、災害用長期備蓄食〈サバイバル®フーズ〉の輸入卸元、株式会社セイエンタプライズ取締役に就任。阪神淡路大震災で家族が神戸で罹災、日常の防災意識や危機管理の啓蒙普及を企図した無料メールマガジン『週刊防災格言』を07年よりスタート。毎週月曜日に防災格言を発信し続け2万人の読者を得ている。
【書籍】天災人災格言集―災害はあなたにもやってくる! ¥1,650(税込)
猛暑対策におすすめの商品
遮熱効果の高いシルバーコーティング生地を使用した大きな折りたたみの日傘です。酷暑対策に。
遮熱効果の高いシルバーコーティング生地を使用した雨晴兼用長傘です。酷暑対策に。