おはようございます。
2024年1月1日の「令和6年能登半島地震(M7.6)」から 2年3か月 (840日) が過ぎました。
2011年3月11日の「東日本大震災(M9.1)」と「福島第一原発事故」から 15年 (5520日) を迎えました。
1995年1月17日の「阪神・淡路大震災(M7.3 死者6,437人、重軽傷者43,792人)」から 31年目 です。
米国とイスラエルによる対イラン攻撃(2月28日)から、本日で 52日 が経過しました。
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…では、今週のコラムをお届けします。
「72時間の壁(黄金の72時間)」は、いつ生まれたのか?
「災害発生から72時間が生死の分かれ目」――。
この言葉は、日本ではもはや常識のように語られています。
しかし実は、この“72時間”という考え方は、基本的には日本で強く定着したもので、世界共通の原則というわけではありません。
海外の災害対応でも、72時間という数字がここまで象徴的に使われることは多くありません。もっとも、近年では一部のアジア地域において、日本の防災マニュアルを参照する形で「72時間」という言葉が使われる例も見られるようです。
…さて、
この「72時間」が広く知られるようになった背景には、阪神・淡路大震災(1995年)の経験則があります。
発災後に救出された人は、時間の経過とともに生存率が低下していく――その統計的な傾向から、「黄金の72時間」やら「72時間の壁」という言い回しが広まることになりました。
それ以来、行政文書や防災訓練、マスコミ報道、さらには家庭向けの備蓄ガイド、YouTubeなどの動画解説に至るまで、72時間という数字が繰り返し使われています。
しかし、ここで重要なのは、72時間という数字は「単なる傾向」を示す便宜的な区切りの指標であって、科学的に確定した人間の生存限界を意味する数字ではない、ということです。
この理解が欠けたまま72時間だけが強調されると、現場で本来行われるべき状況評価が省略され、数字が判断を代行してしまうことになりかねません。
実は私も、これまでコラムで、詳細な説明を省く便利な言葉として「72時間」を何度か引用してきました。
しかし最近、さまざまな場面でこの数字が誤って受け取られ、防災の専門情報サイトでも「72時間を過ぎたら助からない」といった文脈で使われているのを目にする機会が増えてきました。
このまま数字だけ一人歩きする状況は看過できませんので、自分自身への戒めも込め、一度きちんと整理しておきたいとの思いから今回コラムにしました。
科学ではなく“統計の印象”が作った時間線
しばしば誤解されていますが、「72時間を超えると人は生きられない」という明確な医学的なエビデンスは存在しません。
人が水を摂取せずに生きられる時間には大きな幅があり、気温、湿度、体格、年齢、持病、負傷の有無によって結果は大きく変わってきます。
実際、医療・災害医学の分野では、「○時間で生存可能性が消える」といった断定は慎重に避けられています。
阪神・淡路大震災で示された「72時間」は、あくまでも、「時間が経つほど発見される生存者の割合が下がる」という統計的傾向であって、「72時間で線を引ける」という科学的証明ではないのです。
分りやすく言うと…
「72時間以降に見つかる人がすでに亡くなっているケースが阪神・淡路大震災では多かった」
…という統計的事実を基盤とした数値が「72時間」の本質です。
ところが現実には、この“傾向”が“限界”として誤読されてきています。統計グラフは、いつしか命の可否を裁くタイムリミットとして扱われるようになっていきました。
正直なところ、とても危険な傾向です。
「72時間」の功罪
72時間の区切りは、初動対応の重要性を社会に浸透させ、救助・医療資源の集中や作業の優先順位付けを可能にした点で評価できます。その一方、72時間の数字の一人歩きには危険がはらんでいます。
恐らく、ほとんどの人たちが勘違いしている点を整理します。
もし、この「生存率は時間とともに下がる」という傾向が、「72時間を過ぎたら助からない」という限界値として受け取られた場合、統計は、いつのまにか命の可否を裁く“タイムリミット”になっていく可能性があります。
これは非常に危険な転換です。なぜなら、本来「傾向」を示すための数字が、「判断そのもの」を置き換えてしまうからです。
統計はあくまで過去の集計結果であり、目の前にいる人が生きているかどうかを決める基準ではありません。しかし数字が一人歩きすると、現場では「条件を見る」思考が省略され、「時間だけを見る」判断が正当化されてしまいます。
さらに厄介なのは、72時間という数字が、責任を人ではなく時間に転嫁する道具として機能し始める危険性をはらんでいる点です。
「もう72時間だから仕方がない」という言葉は、冷静な判断のように聞こえますが、実際には検討を打ち切るための便利な免罪符になりやすいのです。
要救助者がいる場所に、空気があるか、水は得られるか、空隙は残っているか――本来確認されるべき問いが、数字ひとつで覆い隠されてしまいます。
救助において本当に危険なのは、考えること(思考)を数字に委ねてしまうことです。数字は判断を助けるための道具であって、判断そのものになってはいけません。
広域災害では、救急医療スタッフは72時間(3日)を目標に現場に駆け付けますが、とくに災害初期は、近隣に住む一般人たちが救援に駆け付ける(共助)ものです。
つまり、私たち自身が、災害時には人を救う可能性があるのです。だから、誤解は解いておいた方が良いでしょう。
「72時間」はどこから来たのか?
国土交通省・内閣府などが整理したデータによると、瓦礫下から救出された人の「救出時生存率」は、時間経過とともに急激に低下していくことが判明しています。
| 経過日 | 救出者の生存率 |
|---|---|
| 発災当日(〜24時間) | 約75% |
| 2日目(〜48時間) | 約24% |
| 3日目(〜72時間) | 約15% |
| 4日目以降 | 約5% |
この「3日目を境に、一段、明確に落ち込む」という事実が「発災後72時間=人命救助の重要な分岐点」と表現されるようになりました。
ここで重要なのは、
生存者が72時間で“いなくなる”のではなく、「生きたまま救出できた人の割合」が統計的に激減する、
――という点です。
72時間以降に、生きたまま救出できた人の割合が、統計上で激減した理由は、とても単純です。
「 救助する側の人員・能力が落ちたから 」です。
阪神・淡路大震災の詳細分析や内閣府の資料では、次の点が繰り返し指摘されています。
「 初動48〜72時間は近隣住民・消防団・自主防災組織による「大量・即時の人手」が存在 」しました。ところが、72時間(震災3日目)を超えたくらいから、
・住民が疲弊・離脱した
・消防・警察・自衛隊は「行方不明者捜索」と「遺体収容」のフェーズへ移行した
・手作業から重機中心の捜索になり、生存を前提にした探索が減少した
…その結果として、
72時間以降に発見される人は、「その時点で死亡しているケースが統計上多数を占める」という状況が生まれました。
これは「72時間で人が死ぬ」よりも、「72時間で救助の性格が変わる」ことの影響が大きいと解釈する方が正確です。
つまり、「72時間」という数字は、人体の絶対的な生理限界ではなく、むしろ、救助側の人員・能力・フェーズが変化する経験則の “運用上の目安” となる訳です。
では、なぜ“(72時間という)曖昧な数字”が一人歩きしてしまうのか。理由はきわめて実務的かと思われます。
まず、災害時の行動指針として、FEMA(米国)や国連などの国際機関では「最初の数日間は公的支援が十分に届かないことを前提に自力もしくは地域力を計画せよ」という意味で、「72時間(3日間)」程度の期間を自助・共助の必要な時間として計画策定するよう求めています。
同じように、日本での防災啓発でも「各家庭で最低3日分の備蓄」が昔から推奨されており、「混乱期である初動72時間(3日間)は(自助・共助による)人命救助を最優先」として啓発したり、政府や行政の支援・救援制度でも「できるだけ発災後3日以内に現地へ到着し支援行動を開始するよう」に求めていたりします。
そして、政府や行政も、この72時間を、広く広報に活用しています。ただ、ここでいう「72時間」は単なる目安で、「それ以降は助からない」という生存限界ではありません。
世界中の広域災害時の行動指針の多くで「72時間」という目安を活用されていることから、殊に災害関連分野では“72時間”の数字は、詳しい解説も省けることができる、とても相性が良い数字になってしまったのかもしれません。
現実は72時間を超えても“救い”続けている
事実は、“72時間神話”とは異なります。
東日本大震災では、発災から9日後(200時間超)に瓦礫下から生存救出された事例があるのです。
2000年代以降、海外の大地震を見れば、100時間を超えて生存救助された事例は決して珍しくありません。
特に2023年のトルコ・シリア地震では、12日(約296時間)後の生存救助が行われています。
これらはマスコミで「奇跡」という言葉で片付けられがちですが、実際には、建物内に空隙があったこと、気温が低く脱水が進みにくかったこと、最小限でも水分を得られたことで、一番の要因は、本人が致命傷を負っていなかった、という条件が重なった結果でした。
つまり、生存の可否を分けたのは「時間」ではなく、要救助者の置かれた「状況」だったのです。
なぜ72時間は“撤退の口実”になってしまうのか
72時間神話が本当に危険なのは、それが「やるべきこと」ではなく「やめる理由」として使われ始める点にあります。
「もう72時間を過ぎたから仕方がない」
「生存の可能性は低い」
「フェーズを切り替える時期だ」
こうした言葉は、一見すると冷静で合理的に見えますが、実際は状況を評価する思考を省略するための方便になりやすいものです。
時間だけで判断すれば、責任は数字に預けられるし、誰かが「続けるべきだ」と主張するより、「72時間だから」という方が、組織にとっては安全な意思決定になりやすいのかもしれません。
ただ、しかし、その安全さは、必ずしも、命の側には向いていないのです。
本来の救助判断は、空気・水・体温・空隙…
現代の救助で問われるのは、次のような要素とされています。
・呼吸可能な空気があるか
・水分を得られる可能性はあるか
・低体温や高体温に晒されていないか
・構造的に空隙が維持されているか
・二次崩落のリスクはどうか、など
これらはすべて時間とは独立した判断軸で、「何時間経ったか」ではなく、「今、この人が生きられる条件が残っているか」で、救助現場で最優先にされるべき事項となっています。
「救援を急げ(発災後72時間の初動対応が重要である)」
72時間は、本来「救援を急げ(発災後72時間の初動対応が重要である)」という警告でした。
ところがそれがいつのまにか、「ここで線を引いてよい」という免罪符のように使われてはいないでしょうか。
数字は、共有しやすく、説明しやすいものです。
だからこそ72時間という区切りは社会に定着し、多くの場面で引用されるまでになりました。
しかし、「わかりやすさ」は、必ずしも「正しさ」ではありません。
必要なのは、72時間という考え方そのものを否定することではありません。72時間を、考えなくて済む“神話”にしないことです。
見るべきなのは、時間ではなく、条件であり、従うべきは、数字ではなく、その現場の状況です。
この当たり前の原則を理解する必要が私たちにはあります。
とくに、情報提供する立場にある人たちは、言葉の本質をきちんと理解した上で、読者らに誤解を招くような表現や内容を避けるように注意したいものです。
《 執筆者 》
SEI SHOP(セイショップ)総合プロデューサー
平井敬也(ひらいひろや)
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