おはようございます。
明日(3月10日)は、七十二候(1年を72に分けた暦)の「 桃始笑(ももはじめてわらう)」です。
桃の花のつぼみが膨らみ、もう少しで咲く頃ですね。
本日で、2024年1月1日の「令和6年能登半島地震(M7.6)」から 2年 (798日) が過ぎました。
2011年3月11日の「東日本大震災(M9.1)」と「福島第一原発事故」からまもなく 15年 (5478日) を迎えます。
1995年1月17日の「阪神・淡路大震災(M7.3 死者6,437人、重軽傷者43,792人)」から 31年目 です。
… … … … … …
さて…、
2026年2月28日に始まった米軍(イスラエル)によるイラン攻撃から 9日 です。
トランプ政権は今回の作戦を「当初想定は4〜5週間だった」と述べており、戦闘継続にも前向きな姿勢を示しています。
一方で、イラン側は最高指導者が殺害され、すぐに妥協できる状況ではありません。そのため、短期的に収束する可能性は低く、戦争が長期化するという見方が強まっています。
そうしたなか、心配なのが物流への影響です。
世界の原油輸送の約5分の1を占めるホルムズ海峡は、今回の戦争によって事実上の封鎖状態にあります。
原油市場は急騰と下落を繰り返しつつも不安定な状況が続いており、価格変動のリスクが高まっています。
この9日間で中東地域では航空便の欠航が相次ぎ、ペルシャ湾周辺ではタンカーの航行停止もみられ、海運大手も航路を変更し始めています。
これにより、日本向けの原油輸送が迂回を余儀なくされ、到着の遅れや輸送コストの上昇が懸念されています。
日本政府は原油備蓄が254日分あると説明し、急激な供給不足は避けられるとしていますが、状況次第では日本国内でもガソリン価格や電力コストの上昇が続く可能性がありますので、今後の情勢によっては、私たちの生活への影響も大きくなるかもしれません。
戦争や災害が発生した際によく使われる「当面」や「急場」という言葉は、どの程度の期間や深刻さを指すのかが曖昧で、その不鮮明さこそが緊急事態の不確実さを象徴しているようにも感じます。
東日本大震災の発生から15年
今週の水曜日(3月11日)は「 東日本大震災記念日 」です。
早いもので、震災から 15年 がたちました。
この15年で、住宅や建物の移転や再建が進み、幹線道路や港湾や鉄道などの基幹インフラの整備も回復しつつあります。
15年間で投じられた復興予算(補助金)は42兆円にのぼりました。
私も、毎年3月初旬になると、被災地や避難所で出会った人たちの声や表情を思い出します。仕事で関わりのあった方々や、東北に暮らす親戚や友人がいることから多少の縁はあるものの、身近な人を亡くしたわけではない私でさえ胸が締め付けられる思いになります。そう考えると、ご遺族の皆さまのお気持ちが15年という歳月で癒えるはずもなく、その深い悲しみの大きさに思いを致さずにはいられません。
地震発生の当時は、日本付近は冬型の気圧配置となっており、北日本の日本海側には強い寒気が流れ込んで雪模様でした。
一方で、東北太平洋側の福島の空は快晴で、岩手は薄曇り、宮城県仙台市などは雪がぱらつく程度だったものの、これらの被災地域は、総じて平年より気温が低く寒い日(最高気温が6℃くらい)だったそうです。
そこに、有史以来、日本で発生したもっとも規模の大きなマグニチュード9の巨大地震とともに、経験したことがないような大津波が太平洋沿岸地域を襲いました。
そして地震と津波は、原子力災害が重なる複合災害となりました。
死者19,787人(*震災関連死を含む)、行方不明者2,549人、重軽傷者6,254人、全壊した住居12万2,204棟、半壊28万7,896棟、一部損壊74万9,016棟、住家被害の合計は 115万9,116棟となります(消防庁2026年3月9日現在)。うち、震災後に亡くなった震災関連死者は15年で3,810人にのぼります(復興庁2025年12月31日現在)。
未曽有の震災で、本当に多くの住民が犠牲となりましたが、犠牲者のなかには、住民を守る側の人たちも含まれていました。
当日、津波到達ギリギリまで作業や避難誘導を続けた結果、多くの消防関係者が被害に遭われています。
岩手・宮城・福島の被災3県では、消防職員(常備消防)27人と消防団員(非常勤の地域消防)254人の計281人が殉職されました。殉職者のうち59人は津波を防ぐ水門の閉鎖作業中に亡くなり、118人は住民らの避難誘導中に亡くなったそうです。
この教訓により、現在では、水門などのゲート閉鎖が手動から遠隔操作に変わってきました。また、消防のルールも変わってきており、出動基準(消防任務)が明確化されたり、住民らの避難でも「遠くの高台」に固執して移動が遅れる事故を防ぐために、避難場所まで到着できない可能性がある場合は最寄りの高い建物へ避難するなど、多くの判断基準のルール化(緊急避難レベルの導入)も行われるようになりました。
現在、政府や自治体では、次の巨大災害に備えるうえで 消防力の確保を最重要課題として強化する姿勢を示しています。
しかし、その一方で現場の実情を見ると、課題はむしろ深刻化しています。消防署員(常備消防)の人員は震災後も大きくは変わらず、微増にとどまっていますが、地域の防災を支える消防団員は年々減り続けています。2011年に約88万人いた消防団員は、2026年には約74万人まで減少し、大幅な縮小が続いているのです。
「時間が止まったように感じる」喪失感のお話
震災から15年たってもなお、2,549人(※警察庁の発表では2,519人)の方が見つかっていません。
昨年末(2025年10月)、岩手県山田町で津波により行方不明となった当時6歳の娘さんの遺骨の一部が奇跡的に発見され、14年7ヶ月ぶりに家族の元に帰られたとメディアで報じられていました。
ご遺骨は、2023年2月に山田町から100キロも離れた宮城県南三陸町で発見されたそうで、その後のDNA鑑定などにより2025年10月に娘さん本人と判明したといいます。
ご両親にとって一つの区切りがついたのでしょう。
記事には「止まっていた時計が動き出した」と述べられていました。
…さて、
災害などの話題の際に、「時間が止まったように感じる」や「15年が一瞬だったように思える」というよな体験談をよく聞きます。
こうした「時間が止まった」ように感じる現象は、災害などで大きな喪失やショックを受けた人にしばしば見られるものだそうで、科学的には、心理学や災害グリーフ(悲嘆)研究で解説されています。
人は大切な人を亡くしたとき深い悲しみを感じますが、行方不明や災害、認知症のように「いるのかいないのか」「失ったのかまだつながっているのか」がはっきりしない状況では、心が宙づりになりやすく、通常の悲嘆とは違う複雑な苦しみが生まれるといいます。
これを、米ミネソタ大学名誉教授のポーリン・ボス博士(1934〜 / Pauline Boss)は、1970年代に「あいまいな喪失(Ambiguous Loss)」と名付けました。
ボス博士によると、こうした喪失感は「喪失したという確証がない不確実な状態」なので、心の中で白黒をつけるといった終結や決着をつけることが難しく、それ故に人の心に強いストレスを生じさせる、のだと説明します。
そして、こうした喪失感のストレスには終わりがなく、心の中で白黒がつけられないこともあり、時間が止まったように感じたり、感情が揺れ続けたりしやすいのだといいます。
しかも問題は、こうした喪失感が、人の人生の中でも最もストレスの大きい喪失でありながらも、社会から理解されにくいため、本人が孤立しやすくなりがちな点です。
周囲の人は、喪失そのものが本質的にあいまいであることを理解して、「あなたがおかしいから」とか「こうあるべき」という押しつけをするのではなく、揺れ動く気持ちに寄り添う姿勢が求められています。
あいまいな喪失は完全に解決したり、簡単に終結したりするものではありませんが、それでも人は少しずつ自分のペースで意味を見つけ、希望を再構築して生きていくことができるといいます。
ボス博士は、こうした状況で、正解を求めすぎず、揺れる感情を“正常な反応”として認めることが大切であり、同時に、喪失の痛みが時間とともに薄れることを期待するのではなく、「痛みが消えなくても生きていける力」を育てることが大切だとも述べています。
現在では、この理論が、災害や突然の別れを経験した人々が「なぜ自分の悲しみは長く続くのか」「なぜ気持ちが整理できないのか」を理解する助けとなりました。
災害や予期せぬ別れに直面した人々が、自分の感じている混乱や停滞に説明を見いだせるという点で、彼女の理論は大きな支えとなり続けているようです。
※関連コラム記事
・2万2222人が犠牲になった東日本大震災から13年(2024.03.11)
・東日本大震災14年、仮埋葬のお話(2025.03.10)
《 執筆者 》
SEI SHOP(セイショップ)総合プロデューサー
平井敬也(ひらいひろや)
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