おはようございます。
2011年3月11日の「東日本大震災(M9.1)」と「福島第一原発事故」から今年で 15年 (5443日) を迎えます。
2024年1月1日の「令和6年能登半島地震(M7.6)」から 2年 (763日) が過ぎました。
1995年1月17日の「阪神・淡路大震災(M7.3 死者6,437人、重軽傷者43,792人)」から 31年目 です。
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◆「第30回 震災対策技術展 横浜」(事前登録制・入場無料)
サバイバルフーズの試食等を行います。
【会期】2026年2月5日(木)〜2月6日(金)
【時間】10:00〜17:00
【会場】パシフィコ横浜Dホール
※セイエンタプライズ小間番号「1117」(「防災食品展」内)
※入場「無料」、事前の来場申込(当日受付でも可能)が必要です
詳細は⇒ https://www.seishop.jp/blog/shinsaiexpo2026/
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さて…、
本日(2月2日月曜日)は「満月」です。
月が地球のまわりを公転し、太陽・地球・月が一直線に並ぶのが「満月」で、太陽・月・地球 の順に一直線になるのが「新月」です。この約29.5日の天体の位置関係の周期を朔望月(さくぼうげつ)と呼んだりします。
満月や新月の時は潮汐力(引力)が最大となり、引力が重なり海水が強く引っ張られるため、沿岸部では海面がいつもよりも高く(潮位が上昇する)なります。そのため防災的には満月の頃は“高潮”に注意が必要とされます。
冬は「爆弾低気圧(急速に発達する低気圧)」の接近による気圧の急低下による(海面の吸い上げ効果)と強風(海面の吹き寄せ効果)が海面を押し上げ、高潮を引き起こすことがありますから、台風シーズンでなくても高潮は発生するものです。
とくに、冬の低気圧は進行速度が速く、短時間で潮位が急上昇することがあるため、こうした満月・新月の頃の荒天には、気象庁の「高潮警報」を確認するようにしましょう。
なお、満月そのものが直接災害を引き起こす危険はありませんが、満月・新月で最大化した潮汐力(引力)が、地球内部の地殻活動に多少の影響を及ぼすとする“地震との弱い関連性(があるのかも)”という研究も昔からあります。
どうやら、災害を引き起こす自然現象の多くは、地球科学的な要因とゆるやかな関連があるようです。この相関が必ずしも“因果”を意味するわけではなく、複数の要因が重さなって作用する中で、災害になるかもしれない極端で特定の現象を発生させているのでしょうね。
数学者のアンリ・ポアンカレは、自然が整然と規則立っていることに驚き、それを“奇跡”と言いながら《 調和する世界は神々しいまでに美しい 》と評しました。
災害・暦・自然現象をひとまとめに眺めると、私たちが暮らす世界が偶然の連続ではなく、周期性とリズムの重なり合いの中で動いていることが見えてくる気がします。
※関連コラム
・中秋の名月(十五夜)と地震の関係(2025.10.06)
節分の豆まきと立春
明日2月3日(火曜日)は、季節の分かれ目「節分」の豆まきです。
そして節分の翌日には必ず「立春」を迎えます。
節分は「季節を分ける」という字の通り、本来は立春・立夏・立秋・立冬の前日に年4回あった行事ですが、旧暦では立春が一年の始まりと考えられていたため、立春前日の節分だけが特に重要視されるようになりました。
いわば季節版の“大晦日”のような位置づけであり、新たな一年を迎えるにあたって、心身共にリセットして、春夏秋冬の暦の始まりを迎える、という意味も込められています。
豆まきは、その節分に欠かせない風習として定着しています。
炒った大豆をまくのは、古くから穀物には生命力が宿ると考えられ、邪気を払う力があると信じられてきたためです。
日本では古代から、五穀(米・麦・粟・黍・豆など穀物)に霊力(穀霊)が宿ると考えられてきました。
豆まきに大豆が選ばれたのは、農耕信仰として、霊力=稲(稲霊)の宿る五穀(力のある穀物)だったこと、また、憶測ですが、大豆は硬く、粒が大きくて投げやすいといった実用性もあったのかもしれません。
大豆よりも小さな米粒(コメ)だと投げにくそうですからね。
「鬼は外、福は内」と声を出しながら豆をまく所作は、奈良時代の頃の鬼を追い払う宮中儀礼「追儺(ついな)」が原型とされますが、その意味は、目に見えない“不安”である人に降り注ぐ様々な“厄災(災害、病気など)”の原因とされる「鬼や物の怪」を家族や親戚から追い払い、清々しい新年「立春」を迎えるための象徴的儀式ともいえます。
立春は、暦の上で春の始まりを告げる日です。
実際の気候はまだ冬の寒さが残りますが、太陽の動きや季節の循環を重んじてきた日本では、立春を境にして新しい季節が動き出す感覚が大切にされてきました。
節分の豆まきは、その前夜に心の中の鬼を払い、春の気配を迎え入れる準備をする行いとして、今も多くの家庭で続いています。
こういう民俗的な伝統文化は大切にしていきたいものですね。
※関連コラム
・“節分(2月3日)”と災害(2024.01.29)
・「八日節句(事始め)」と災厄除け(2024.02.05)
山焼き(やまやき)
700年以上続く有名な伝統行事「大室山の山焼き(静岡県伊東市)」。 今年は2月8日(日)に開催予定といいます。
山焼きや野焼きは全国で見られるもので、山の保全や害虫駆除を目的に、早春に野山の枯草や枯木を焼き払う行事で、かつて焼畑農業が行われていた頃には、山を焼いた跡でソバ、ヒエなどを蒔いたといい、地元農家にとって「春を呼ぶ儀式」だったそうです。もちろん「山やく(山焼く)」は俳句の春の季語にもなっています。
《 山焼の 明りに下る 夜舟哉 》小林一茶(1763〜1828)
《 雨ふるや うすうす焼くる 山のなり 》芥川龍之介(1892〜1927)
地域によって多少のばらつきがあるものの、主に、毎年の立春の後の初春(2月)に行われるのが普通です。
これには、新芽が成長する前に草地を慣らすための管理目的のほか、2月頃は乾燥した季節なので火が回りやすく火入れの作業が効率的に行えるという側面もあるようです。
効率性の面では、この時期は枯れ草がよく乾いており、それ故に火が均一に広がりやすいメリットがある一方で、春の湿気や降雨が近づくことで延焼リスクが抑えられるという安全面の理由もあるのだそうです。
草地を維持するために山野に火入れを行う文化は、驚くことに縄文時代から弥生時代にはすでに存在したと考えられているそうで、そうすると「山焼き=火を使って土地を更新するという行為」は、まさに、日本の農耕社会が数千年にわたって自然に合わせて土地を管理してきた証と考えられますね。
秦野市の「震生湖(しんせいこ)」
さて、野焼きと言えば…。
神奈川県秦野市出身の歌人・前田夕暮(1883〜1951)の『野焼きの夜』という随筆があります。
《 相模には草山がおおい。春さきになって雪が消えるとその草山を焼く。夜になると野焼の火がほのぼのと赤く田圃の水に映って寂しくもまたなつかしい。…(以下略)… 》
ここに描かれている山は一説には、秦野の権現山(243m)や弘法山(235m)の辺りだろうと考えられていますが、このあたりでは今は野焼きが行われていないので、良くわからないのだそうです。
…で、秦野の権現山と言えば、この周辺(秦野市今泉〜中井町)には「震生湖(しんせいこ)」と呼ばれる関東大震災にゆかりの「湖」が知られています。
震生湖は、1923年(大正12年)9月1日の関東大震災の地震動によって、秦野の山(渋沢丘陵の一部)が幅約250メートルにわたって大規模に崩落し、大量の土砂が市木沢(いちぎさわ)の谷を塞いだ結果、水がせき止められて、上流側に水が溜まって自然発生した自然湖(堰止湖)でした。
震災直後の記録によると、この崩落で、深さ約12メートル(四丈余)、四方約45メートル(二十五間)の大陥没が発生したとあります。
震災後からしばらくの期間は、水没した杉の大木が先端だけを水面に出しているような状況で、現在の湖は、長径315メートル、幅85メートル、周囲1キロメートル、水深4メートル(最大深10メートル)の巨大な湖となっています。
当初は地元で「大池」や「秦野湖」などと呼ばれていたそうですが、昭和初期に地元の人たちが「震生湖」と名付けられたと伝わっています。
こうした地震災害によって突然できた自然湖(堰止湖)のうち、日本国内に現存する堰止湖でもっとも新しいのが、この「震生湖」なのだそうです。
2021年(令和3年)3月26日には国の登録記念物となり、里山保全地・観光地として利用され、今でも災害でできた地形をほぼそのまま保存している貴重な震災遺稿として、無料で散策することができます。
東京大学で地震研究をしていた物理学者・随筆家の寺田寅彦は、関東大震災から7年後の1930年(昭和5年)9月7日と12日に調査のため秦野を訪れて「震生湖」へと足を運び、その調査結果を『秦野に於ける山崩』として報告書にまとめています。そして、その際に、寅彦は俳句を3句詠み、そのうちの1句が「震生湖」の湖畔の石碑に刻まれました。
《 山裂けて 成しける池や 水すまし 》寺田寅彦(1878〜1935)
1955年(昭和30年)の震災記念日に石碑が建立され、この句の選定と刻碑の揮毫は、寅彦の同門(夏目漱石門下生)だった独文学者・小宮豊隆(1884〜1966)の手によるものだそうです。
この石碑の近く、震生湖の駐車場脇に少女2人の供養塔「平沢埋没者供養塔」がひっそりと佇んでいます。
震災当日の9月1日は二学期の始業式だったそうで、地震発生時に始業式を終えて帰宅中だった南秦野尋常高等小学校(現秦野市立南小学校)の女子児童2人が土砂崩落に巻き込まれ、その後も遺留品ひとつ発見することができず行方不明となりました。たいへん痛ましい事故だったことでしょう。
さて、震生湖の誕生は、秦野を生活圏にした当時40歳の前田夕暮にとって大事件だったと思われます。
そして『野焼きの夜』は関東大震災の後の1926年(大正15年)の随筆ですから、自然の力による風景の変容といった彼の自然観が《 寂しくもまたなつかしい… 》といった部分に現れているのかもしれません。
《 執筆者 》
SEI SHOP(セイショップ)総合プロデューサー
平井敬也(ひらいひろや)
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