おはようございます。
本日で、2011年3月11日の東日本大震災(M9.1)と福島第一原発事故から 14年(5345日)です。
2024年1月1日の令和6年能登半島地震(M7.6)から1年9ヶ月(665日)です。
1995年(平成7年)1月17日の阪神・淡路大震災(死者6,437人、重軽傷者43,792人)から 30年 です。
また、今週は、富士山の大噴火(宝永噴火)の原因ともされる1707年(宝永4年)10月28日の南海トラフの巨大地震「宝永地震(死者20,000人超)」の発生から 318年 です。
そして、1891年(明治24年)10月28日に濃尾平野で発生した日本最大の直下型地震「濃尾地震(死者7,273人)」から134年 です。
一気に秋深まる…急に“寒く”各地で今シーズン一番の冷え込みに
季節が一気に冬に近づいたような“寒さ”でした。
先週(21日〜23日)、北日本を中心に上空の寒気が流れ込み、東の海上にある高気圧が北東からの冷たく湿った風を運び、太平洋上に停滞する秋雨前線によって、太平洋側などでも雨を降らせた影響から、列島各地は、今シーズン一番の冷え込みとなりました。
北海道札幌では初雪が降り、東京でも日中10℃を少し上回る程度となる12月中旬並みの寒い日となりました。
明日(火曜日)は七十二候(1年を72に分けた暦)の「 霎時施(しぐれときどきほどこす)」を迎えます。
秋の通り雨の“時雨(しぐれ)”が降る頃にあたります。
この季節、寒気と雨が合わさって、太平洋側でも、かなり冷たい雨が降ります。朝晩とヒンヤリする頃です。
今週も、上空の寒気が南下することから、寒気の影響で北日本や日本海側を中心に雨や雪となる予報です。
そして、寒くなると心配なのが感染症の流行です。
厚労省のインフルエンザ流行の発表(10月24日付)によると、定点当りの感染者数の全国平均が「1.0」を超え、流行シーズン入りをした10月3日以降、その後も感染者数は上昇をし続けています。
先週末(10月24日)の定点当たりの報告数は「3.26」で、前の週の1.5倍ほどに増えました。
昨年の同時期の報告数は0.73でしたので、今年はずいぶんと早くからインフルエンザが流行しているようです。
今後も流行が続く可能性が高いため、手洗い励行と、正しいマスク着用にも心掛け、広げず感染せず、睡眠と栄養を摂って、健康に過ごしていただきたいものです。
今年の秋は、いつもの年よりも暑かったり寒かったりと、寒暖差も激しいために体調を崩しやすいようです。
気象ニュースに耳を傾け、服選びを間違えないように、体調管理にお気をつけください。
セイショップでは、感染症対策グッズとして、信州大学や大和紡績が開発の抗菌剤としてフタロシアニンを配合した特殊な抗菌・消臭できる不織布マスク「アレルキャッチャーマスク」や、鳥インフルエンザ研究の第一人者である大槻公一博士(鳥取大学名誉教授)らの研究で誕生した常温で10年保存できる抗ウイルス・抗菌剤「ジーツータム・アルファ・プラス(G2TAMαPLUS)」など、防災士のスタッフが実際に使っているおススメ商品をお取り扱いしています。
アレルキャッチャーマスク
[30枚入/個包装]|信州大学開発素材を使用した普段使いに最適な臭わないマスク[抗ウイルス][抗アレルギー物質][抗菌防臭][消臭]
¥2,200(税込)~
普段使いで強力防御!日常使いができるリーズナブルなマスク。
抗アレル物質のフタロシアニンを不織布に蒸着(特許技術)した日本製マスクです。
手軽な消臭・抗菌スプレー「G2TAMαプラス」スターターセット(携帯用小ボトル2本付属)
¥12,210(税込)
《セイショップ限定》便利なスプレー2本+詰め替え用ボトル4Lに、携帯用スプレー容器2本が付いたお得なセットです。
濃尾地震(のうびじしん)日本最大の内陸直下地震
1891年(明治24年)10月28日午前6時38分50秒、岐阜県本巣郡根尾谷を震源とするマグニチュード8.0の巨大地震が発生しました。
これが「濃尾地震」です。
日本の内陸部で発生した直下地震としては、記録上最大級の規模で、明治以降の近代日本が初めて直面した本格的な大地震でした。
地震の規模をエネルギーで比較すると、阪神・淡路大震災(1995年、M7.3)の約22倍、2024年の能登半島地震(M7.6)の約5.6倍に相当すると推定されています。
この地震の揺れは、北海道や南西諸島を除く全国で感じられるほど広範囲に及んだそうです。
震源断層(福井県南部〜岐阜県中部・南部、木曽川沿岸の岐阜県〜愛知県境)から濃尾平野にかけては震度7の揺れとなり、福井県、岐阜県、滋賀県、愛知県、三重県で震度6、大阪府などの地盤が緩い地域でも震度6の揺れだったとされています。
死者は7,273人、全壊・焼損家屋は142,177戸に上り(愛知県被害史志より)、特に震源地に近い岐阜県、次いで愛知県で甚大な被害が記録されました。
当時の人口と住家数から推定すると、両地域の住家の約4割が被災したと考えられます。
被害は建築物だけにとどまらず、インフラにも壊滅的な影響を及ぼしました。幹線道路の損壊は20,067か所、橋梁の損落は10,392か所、河川の堤防破損は7,177か所に達しました。さらに、山崩れは10,224か所に及び、そのうち約97%が美濃地方で発生しています。
濃尾地震は、地震列島・日本における内陸直下型地震の脅威を示す象徴的な災害であり、現代の防災対策にも多くの教訓を残しています。
震度と地盤の影響
地震は、活断層の直上で強烈な揺れを発生させましたが、特に堆積平野ではその揺れ(地震波)が増幅され、揺れが強くなったと考えられています。
濃尾平野は、木曽川・長良川・揖斐川などの河川が運んだ土砂が堆積して形成された沖積平野であり、地盤が軟弱であることが知られています。この軟弱な地盤の影響により、平野部の広い範囲で強い揺れに見舞われ、場所によっては家屋の全壊率が100%に達した地域もありました。
さらに、濃尾平野では地震による地盤の液状化現象(噴砂、地割れ、沈下・陥没など)が広範囲に記録されています。
堆積平野における地震のリスクは、現代の都市防災にも直結します。
名古屋、大阪、東京などの大都市も同様の沖積平野に位置しており、地震時の揺れの増幅や液状化への備えが不可欠です。
濃尾地震は、堆積平野における地震災害の典型例として、地盤調査や都市計画、建築基準の見直しに大きな影響を与えました。
特別天然記念物「根尾谷断層(ねおだにだんそう)」
濃尾地震の直後、総延長で約80キロメートルの距離にわたって地表に活断層が出現しました。
これは日本の地震史上、最も長い地表断層の一つであり、世界的にも非常に稀な事例です。
この断層は、福井県南部(池田町・大野市付近)から岐阜県本巣市、岐阜市、関市、美濃加茂市を経て、加茂郡坂祝町付近まで続いており、複数の断層帯(温見断層、根尾谷断層、梅原断層、三田洞断層など濃尾地震断層系)が連続して活動したことで形成されました。
特に岐阜県本巣市根尾地域の「根尾谷断層」では、地表に最大8メートルの横ずれと、6メートルの隆起が観測され、断層崖が明瞭に残りました。
この断層は後に国の特別天然記念物に指定され、現在も「根尾谷断層観察館」でその痕跡を直接見ることができます。
このような長大な地表断層が一度の地震で出現するのは極めて珍しく、濃尾地震は断層運動と地震の因果関係を解明する上で、地震学の転換点となった出来事でした。
建築物の耐震性能向上に向けた研究の始まり
濃尾地震では、建築物の構造によって被害の程度に大きな差が見られました。
伝統的な木造建築の住居や寺社などは倒壊率が高く、特に瓦葺きの家屋は藁葺き屋根のものよりも震源に近い地域で倒壊しやすい傾向がわかりました。
その一方、壁の厚い土蔵造の建物は比較的全壊率が低く、他の建築物に比べて倒壊しにくいという相対的な耐性が認められました。
とくに、当時の“文明開化の象徴”だった煉瓦(レンガ)造建築物(名古屋郵便電信局など)が多数崩壊したことは、「煉瓦造を全廃すべし」といった極端な意見がでるほど、社会的なインパクトをもたらしました。
建築の専門家らは、「煉瓦造が地震に弱い」といった根拠のない俗説を払拭するために、倒壊原因の科学的分析を進め、むしろ、これらの倒壊は煉瓦構造そのものの問題ではなく、工事の粗漏や材料の粗悪、構造の脆弱さといった人為的要因によるものであることを指摘することになり、結果として、建物全体を一体化させ揺れに耐える構造の重要性を説くことになりました。
こうした建物強度の科学的調査により、建築物の耐震性能向上に向けた研究が官民を問わず本格的に始動する契機となりました。
巨大地震では、住家や煉瓦造など建築物の倒壊のほかにも、岐阜県を中心に山地の大規模な崩壊や河川堤防の壊滅的な被害をもたらしました。
荒廃した山腹からの土砂流出とその後の豪雨が、洪水災害を悪化させる要因となりました。これらは河川を一時的にせき止めて「天然ダム湖」を形成させ、深刻な二次災害を引き起こしました。
岐阜県では、治水の根本的な解決のため20年にわたる大規模な植樹奨励事業を開始し、山林の再生・復旧に努めることになりました。
こうした地域の取り組みに加え、全国的な洪水被害の多発も後押しとなり、濃尾地震による山地・河川の甚大な被害と復旧の必要性が国を動かし、1896年の河川法、1897年の砂防法、同じく1897年の森林法という「治水三法」の制定へとつながりました。
このように濃尾地震を契機に、日本の建築技術と治山・治水体制が科学的知見に基づいて発展していく歴史的な転機となりました。
震災予防調査会の発足
濃尾地震の甚大な被害は、近代国家として歩む明治政府の“防災体制の不備”を浮き彫りにしました。
震災翌年の1892年、政府は「震災予防調査会」を設置することになります。
震災予防調査会は、文部省の管轄下に置かれた日本初の地震災害対策の研究機関でした。地震の予知は困難でも、被害を軽減する方法は科学的に探求できる、そんな理念のもと、東京帝国大学の菊池大麓をはじめ、小藤文次郎、田中舘愛橘、長岡半太郎、大森房吉ら当時の俊英が集まりました。
さらに、英国人地震学者ジョン・ミルンも調査嘱託として参加し、国際的な視野も加わりました。
調査会の活動は、地質学・地球物理学・建築学など多岐にわたり、地震動や地磁気、地温、重力の観測、耐震建築の設計・試験などが行われました。
しかし、時代が進むにつれて研究分野が細分化し、海軍省や測地学委員会との所轄の重複が生じるなど、活動には制約もありました。さらに1923年の関東大震災では、調査会の提言が十分に活かされなかったとの批判もあり、より専門的な研究機関の必要性が高まりました。
こうして1925年に震災予防調査会はその役割を終え、東京大学地震研究所と震災予防評議会へと改組されました。
その後の日本の地震対策は、1995年の阪神・淡路大震災を契機に制定された「地震防災対策特別措置法」に基づき、地震調査委員会がその役割を担っています。
震災予防調査会は、単なる研究機関ではなく、日本の防災科学の礎を築いた存在でもあり、その理念と活動は、現代の地震研究や防災政策にも脈々と受け継がれています。
※関連記事
・菊池大麓(1855〜1917)と濃尾地震|思則有備
・小藤文次郎(1856〜1935)と熊本地震|思則有備
・長岡半太郎(1865〜1950)と関東大震災|思則有備
・大森房吉(1868〜1923)の防災格言|思則有備
・日本地震学会
ジョン・ミルン博士物語|思則有備
・アマガエルが鳴くと雨が降る確率のお話(2025.05.05)
《 執筆者 》
SEI SHOP(セイショップ)総合プロデューサー
平井敬也(ひらいひろや)
「平井敬也の防災歳時記」をメールで読みませんか?
スタッフブログ「平井敬也の防災歳時記」は、2007年から配信している防災情報メルマガ「週刊防災格言」を元に作成しています。
防災士・平井敬也が災害に備える知識を、毎週月曜日に無料でお届け。
いざという時の安心を日常の中で少しずつ備えませんか?








