おはようございます。
本日で、2011年3月11日の東日本大震災(M9.1)と福島第一原発事故から 14年(5310日)です。
2024年1月1日の令和6年能登半島地震(M7.6)から1年8ヶ月(630日)です。
また、能登半島地震の被災地である石川県奥能登地方を再び豪雨が襲った「奥能登豪雨(線状降水帯による大雨)」から9月21日で 1年 です。
平成7年(1995年)1月17日の阪神・淡路大震災(死者6,437人、重軽傷者43,792人)から 30年 です。
秋が優勢、“秋雨前線型”の気圧配置へ
先週から、冬の大陸高気圧の勢力圏が拡大し、大陸の高気圧は北日本を覆うように張り出し、夏の小笠原高気圧が南へと後退し、秋雨前線が本州の南岸までゆっくりと南下しました。
先週後半からは、秋雨前線が本州を南下するのに伴って、前線がかかる地域で活発な雨雲がかかり、局地的に激しい雷雨にも見舞われました。
これから、30℃を下回る日も多くなり、最低気温も25℃以下となる日も増えるとのことで、長く続いていた35℃を超えるような猛烈な残暑もようやく落ち着いてきました。
今後は、日本付近に高気圧(移動性高気圧)と低気圧(温帯低気圧)が交互に接近して通過します。
移動性高気圧に覆われて晴れた後には、温帯低気圧が通過する影響で、南から湿った夏の空気が流れ込んで天気が不安定となります。
局地的雷雨、フェーン現象による高温など、数日周期で晴れや雨を繰り返しますので、“秋”の天気は変わりやすく注意が必要となります。
今週の半ば過ぎからは、北日本を低気圧が通過する予想とのことで、低気圧から延びる前線などの影響から、強風を伴う荒天や、ゲリラ雷雨が発生したりします。
引き続き、天気の急変にご注意ください。
秋分の日(しゅうぶんのひ)と秋彼岸(あきひがん)
明日9月23日(火曜日)は「秋分の日」の祝日です。
さて、日本には、春と秋の年2回、「お彼岸」と呼ばれる特別な期間があります。
すでに彼岸入り(9月20日)も過ぎ、秋分の日(9月23日)を中心にした7日間が「秋の彼岸」です。
「お彼岸」は、仏教的な習慣として広く知られていますが、その中心に位置する「彼岸の中日」には、自然と信仰が交差する深い意味が込められています。
春彼岸は春分の日(3月20日)、秋彼岸は秋分の日(9月23日)を中日として、前後3日を含む7日間で構成されます。
中日は、太陽が真東から昇り、真西に沈む天文学的な節目であり、昼夜の長さがほぼ等しくなる日でもあります。
そのため、秋分の日を過ぎると、夜長の季節となります。
だんだん夜が長くなり、昼間の時間がだんだんと短くなる一方で、春分を過ぎると、だんだん昼が長くなり、夜が短くなります。
そして、この自然現象は、仏教における「此岸(しがん)」と「彼岸(ひがん)」の距離が最も近づく象徴とされ、亡き人への祈りが届きやすい日と信じられてきました。
また、春は種まきの季節で、秋は収穫の時期です。
春彼岸では自然への感謝と命の芽吹きを讃え、秋彼岸では実りへの感謝と祖先への敬意を捧げます。
このように、お彼岸は単なる供養の場ではなく、自然と人、過去と現在、此岸と彼岸が交差する文化的な節目となっていきました。
中日には墓参りや仏壇へのお供えが行われ、「おはぎ」や「ぼたもち」といった季節の和菓子が供されます。
小豆の赤色には邪気を払う力があるとされ、仏壇や墓前に供えられるようになったとも言われています。
先祖への祈りなどとともに、季節の移ろいと自然の恵みを味覚で感じるための手段として定着したのでしょう。
秋分は“龍”という雷が淵に潜み静かに過ごす季節?
秋分の翌日9月24日(水曜日)は、七十二候(1年を72に分けた暦)の「雷乃収声(らいすなわちこえをおさむ)」です。
暦の上で「雷が鳴り止む頃」という意味で、夏の夕立や雷が収まり、秋の静けさが訪れる季節感を表しています。
古代中国・後漢時代の儒者の許慎(AD58年頃〜AD147年頃)の字典『説文解字』では“春分”と“秋分”を
《 龍は春分にして天に昇り、秋分にして淵に潜む 》
と解説しました。
古代中国の「龍」は霊的で神秘的な自然現象としての霖雨(長雨)や旱魃(日照り)を司る神獣を象徴している存在です。
つまり、春分には龍が天に昇り、雷や雨をもたらす象徴とされ、秋分にはその活動を終えて龍は水底の淵に潜み、静寂に入ると考えられました。
古代の人らは、自然の変化とともに、“雷雨や落雷”という“神秘的な力”の収束を龍になぞらえ表現しました。
しかしながら、実際の気象状況と照らし合わせると、この表現は必ずしも現代の天候と一致していません。
秋の雷はむしろこれから活発化するかもしれません。
日本では、9月〜10月は、秋雨前線や台風の影響で暖湿な空気が流れ込み、寒冷前線との衝突によって雷を伴う激しい雨が発生しやすい時期となります。
特に台風接近時には雷を伴う積乱雲が発達します。
七十二候は中国・黄河流域の気候をもとに編纂されたものですから、日本の気候とは必ずしも一致しません。
日本は南北に長く、海洋性気候の影響も強いため、雷の収まり方にも地域差があるものなのです。
二十四節気や七十二候などの暦は、季節感の目安程度に考えましょう!
「神幸式大祭」と菅原道真公についての一考察
いま、「神幸式大祭(じんこうしきたいさい)」が、福岡県の太宰府天満宮で行われています。
天神様(菅原道真公)のお膝元、太宰府天満宮(福岡県)の「神幸式大祭」は、毎年、秋分の日の2日前に始りまり、秋分を過ぎて数日で終わる祭典で、その目的は、天神様の神霊(みたま)をお慰めして、世の平安と五穀豊穣を祈るというもので、大宰府にとって最も大切な行事とされています。
その祭りの起源は、平安時代の康和3年(1101年)にさかのぼるそうで、およそ900年以上も連綿と続く由緒ある“秋祭り”なのだそうです。
祭りは、平安装束を着た人々が練り歩き、秋分前日の「お下りの儀」で道真公の神霊を遷した神輿が、かつて道真公が過した境内内にある「榎社(えのきしゃ)」へと運ばれて、ここで一夜を過ごした後、翌日(秋分の日)の「お上りの儀・お移りの儀」で還幸(神社へ戻る)される、という荘厳な神幸祭(神輿などに神霊を移す祭礼)となります。
「神幸式大祭」の主目的が、五穀豊穣による人々の安寧を祈る「秋祭り」という意味合いが強いのであれば、秋分の時期に行われる理由は、以下の通りです。
・秋分が昼夜の長さがほぼ等しくなる節目で、自然界の調和や季節の移ろいを象徴する日であること
・9月が稲の収穫が本格化する直前で五穀豊穣を祈る祭礼にふさわしいタイミングだから
と言えます。ただ、この理由は表向きなものかもしれない、
と私は勝手ながら想像しています。「神幸式大祭」が秋分を中心に前後の日に実施される理由は別にあるのかもしれません。
この「榎社」は、菅原道真公が901年に大宰府に無実の罪で左遷されてから、失意のなかで903年に逝去するまで謫居(たっきょ)し引きこもったとされる場所です。
そんな「榎社」に道真公の霊を遷すのには“別の意味”もありそうです。
ご存じの通り、道真公は亡くなった後に怨霊となって、その後30年以上にわたって京都に祟りと疫病や災厄をもたらし続けました。
これにビビった時の天皇やら公家らが、道真公の怨霊を鎮めるために「天神様」として神格化して、神となった道真公を信仰の対象として祀り、同時に供養する施設として安楽寺天満宮(後の太宰府天満宮)が建てられることになったのが史実です。
平安京の御所「清涼殿」にカミナリを落とした怨霊(雷様)が菅原道真公であり、菅原道真公は“雷様=天神”として祀られたのですから、恐らく、「神幸式大祭」がこの時期に行われる理由の一番は、怨霊となった雷様=道真公を鎮めるため、七十二候で秋分の初候となる「雷乃収声(雷が終わる頃)」に合わせて開催したのかもしれない…と勝手な想像をした訳です。
夜の闇に灯りが消される「滅灯」の儀式や、水面に無数の灯明が揺れる「千灯明」などの風流な演出も、雷光が消える様を模したりしたものだった、かもしれませんね。
菅原道真公が亡くなってから1122年経った現在でも、全国で篤く信仰されている背景には、単なる「怨念」では語り尽くせない歴史的・文化的・宗教的な複合的要因があるのでしょうが…。
菅原道真公、畏るべし、です。
※関連コラム
・菅原道真公と落雷の関係(くわばらくわばら(桑原桑原))(2021/07/12)
《 執筆者 》
SEI SHOP(セイショップ)総合プロデューサー
平井敬也(ひらいひろや)
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