おはようございます。
本日で、2011年3月11日の東日本大震災(M9.1)と福島第一原発事故から 14年(5289日)です。
2024年1月1日の令和6年能登半島地震(M7.6)から1年8ヶ月(609日)です。
平成7年(1995年)1月17日の阪神・淡路大震災(死者6,437人、重軽傷者43,792人)から 30年 です。
防災の日(毎年9月1日)
本日9月1日は「 防災の日 」です。
約100年前の1923年(大正12年)に発生した未曾有の震災「関東大震災」を忘れないための記念日で、それには、国民の一人一人が災害に備える心構えを作っていくことが必要である、との強い願いも込められています。
今週は「 防災週間(毎年8月30日から9月5日まで) 」ですから、この期間に、ご家庭の災害への備えを見直してみましょう。
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一般的には、防災用品を準備するほか、家族同士での連絡手段を話し合ったり、学校や会社から自宅への徒歩経路や、避難所までの避難経路で危険なところはないか、とか確認したりします。
子供たちと一緒に近所の災害マップを作って、 実際に避難所まで散歩してみたり、と、ちょっとした遊び感覚で楽しみながら防災を体験するのもよいでしょう。
たとえば、非常食なら、もしもの停電を想定してランタンを灯しながら、家族そろって食卓を囲み、非常食だけの夜食を“楽しみながら”いちど食べてみる。この体験だけでも、きっと、大きな気付きが得られます。
もし味が好みじゃない場合は、他の非常食に変えてみるとか、スパイスをかけてちょっと火にかけてみたら美味しくなるかも…などと、調理をひと工夫することなどを家族で相談したりもできます。たとえ災害時であっても、家の中や冷蔵庫には何らかの食材が残っているはずです。
また、大規模災害時には、医者にかかれません。
ちょっとの怪我が命取りにもなりますので、地震の揺れなどで落下物から身を守るために、家具の配置換え、とくに枕元の近くに、掛け時計とか重い荷物が倒れたり落下しないように配置を考えましょう。
もし余裕があれば、自宅に1室だけでも、限りなく荷物の少ない安全な緊急避難部屋を用意してもよいかもしれませんね。
さて、防災のセレクトショップ「セイショップ(SEISHOP)」では、賞味期限25年の備蓄食料「サバイバルフーズ」や7年保存の栄養機能食品「サバイバルフーズ・サプリメント」をはじめ、災害時の安心と健康をお届けするスタッフが厳選した各種の防災グッズを取り扱っています。
全員が避難所暮らしとなる訳ではない
災害からなんとか生き残ったとしても、災害で住む家を失ったとしたら、その後の生活が大変です。
災害後も家で暮らせる人(暮らせそうな人)と、そうでない人とでは、その後の生活に大きな格差も生じます。
ここで、割と誤解している人も多いようなので、極端な説明となりますが、敢えて、以下のお話をします。
テレビの報道では、大災害が起こると避難所ばかりがクローズアップされるので、災害の発生=家が全壊して暮らせなくなり避難所生活を余儀なくされる、と想像する人が存外いらっしゃいます。
でも、冷静に考えると、例え大きな災害があっても、決して、被災地域の全員が家を失い避難せざるを得なくなる訳ではありません。
被害の大きさは、災害の規模や程度、その際の環境要件など様々な事柄に左右されますが、家が全壊(倒壊・流失・焼失)するような極めて大きな被害は一部に集中することが多く、実際には、被災エリアであっても家が全壊することは想像よりも少数だったりします。建築基準がしっかり機能している日本の“住居”は案外“災害に強い”のです。
「東日本大震災(2011年3月11日)」では、特定の地区で、大津波によって全住居の7割~8割が流された地区もありましたから、住居が全壊(倒壊・流失・焼失)するような大きな被害は無かった、とまでは申しません。
ただ、戦後日本で最大規模の都市直下災害となった「阪神淡路大震災(1995年1月17日)」では、震度7が襲った最激震地の神戸市であっても、避難所暮らしをされた人は、住民の“7人に1人(14%)”との統計もあります。
神戸市の当時の人口は約150万人で、震災発生から6日目の1995年1月23日時点のピーク時で、神戸市内の1,153か所の避難所に約31万6千人が避難した(一時的な避難も含む)といいます。
避難所に地域住民の14%も避難した事実は、一般的に、自治体の想定をはるかに上回るほどの非常に高い異常な避難率だったことになりますが、恐らく、専門外の方々にとっては「想像よりも少ない」と感じる割合かな、と思います。
大災害であっても、家を失うような大きな被害に遭う家は(私の感覚ですが)多くても1割未満で、ほとんど(8〜9割)の人はその後もなんとか自宅で過ごせるものです。
言葉は悪いのですが、巨大隕石の落下(恐竜絶滅)、破局噴火、核兵器の投下、関東大震災の大火災、そして大津波など、ある特定のエリアが丸ごと全滅するような壊滅的な被害となる破局災害は、人類史でもごく稀な出来事であって、一般的な大きな災害に限ると、不幸にも亡くなられる人に比べると、災害から生き残る人の方が遥かに多いものです。
当たり前ですね。
“備蓄(備え)”が必要な理由
暮らしている自宅の立地や、建物の強度が「強固」であればあるほど、住居が無事である可能性が高くなり、倒壊しなければ、怪我をしたり、命を失う可能性は当然に低くなります。
それゆえに、事前に自宅周辺にはどんな災害リスクがあるのか「ハザードマップ」などで確認し、自宅がどうなるかをある程度は事前に想定しておくのが良い、とされる訳です。
そして、自宅が全壊・流失・焼失といった被害を免れることができれば、家の中にある食材・資材といった物資もそれだけ無事に残る訳ですから、自宅が災害に強いほど我々の災害後の“生活の品質”も担保されることになります。
ただ、家が無事だったとしても、災害は地域全域に、次の被害を及ぼします。
電気や通信、水道やガスなどのライフラインが止まり、消防や救急・病院、ゴミ収集に公共交通などの地域サービスが停滞し、道路が寸断したりして流通が遮断され、商店には品物が入荷できなくなります。店ではすぐに在庫が底をつき、その後は、いくらお金を積んでも食料や物資が手に入らなくなります。短くても数日間、数週間や数か月間も続くかもしれません。
災害の第一撃から生き残り、自宅に大きな被害がなくても、その後の生活が一変するのが大災害なのです。
だから、食糧やら水など、大災害の後で無いと困る当面の生活物資は事前に備える必要があるのです。
公助の限界と「防災計画」の今
住民の命を守る行政に助けてもらえば「どうにかなる」と考えている人もいるかもしれませんが、行政にも限界があります。
例えば、私の住む神奈川県横浜市(人口約377万人)では、備蓄食料は約100万食で、備蓄飲料水は約80万リットルと公表されています。
食料は1人1日(朝・昼・晩)3食と考えると本来なら全市民分の1日に必要な食数は「1,100万食」となりますので、横浜市には、食料の充足率としては住民1日の必要総量の約9%しか備蓄されていないことになります。
飲料水も1人1日3リットルが必要量とされていますので、市民1日分は「1,131万リットル」なのでで、1日分の充足率は約7%となり、全然足りません。
これは横浜市だけではなく、実際は全国的にどの自治体でも状況はだいたいどこも同じです。
これら備蓄量は「避難所利用者の約3割(もしくは避難所利用者)」が使う想定で準備していると説明されています。(避難所利用者の全員でないことにも注目しましょう。)
このように、自治体の備蓄は「避難所生活者の一部」を対象とするのが普通です。そもそも、賞味期限の更新や保管スペースなどの管理コストが大きな“食料品や飲料の備蓄”については、行政側で全住民分に備えるほどの財政的・物理的な余裕はありません。
災害直後の混乱時にから、すぐに被災者受け入れ準備が整い避難所が機能しているとも考えにくいものです。
どこの自治体でも、基本は、自助努力(家庭備蓄)を前提とした地域防災計画が現在の主流となっているのです。
災害直後から3日間〜1週間くらいの期間は、国も行政も支援できない…かもしれない「だから、その公的支援ができないかもしれない期間については自分たちで備えてください」というのが“自助努力(家庭備蓄)”の意味となります。
行政の職員も同じ被災者になる
現代社会の大都市が初めて大地震に直面した阪神淡路大震災(1995年1月17日)。神戸市では、電気の完全復旧に7日間、水道の断水が復旧するのに3か月、ガスの復旧に3か月、電話回線の応急復旧に2週間ほどかかりました。
鉄道も途絶し、JR東海道線の全面開通に3か月、山陽新幹線の全線の運転再開も3か月、被災地域の全鉄道網復旧には半年、国道の完全復旧も半年かかり、神戸線の全面復旧は翌年1996年9月末までの1年半もかかりました。
そして、災害時にいち早く地域住民の支援に乗り出すはずの行政の職員たちも、そして、その家族らも、皆と同じように被災者となりました。被災者が被災者を支援できるはずがありません。
この震災以降、大災害では、行政や公的機関による住民らへの災害支援が、必ずしも迅速で、かつ十分には行き渡らないことが明らかとなり「公助の限界」が叫ばれました。
今日では、国も行政の支援にも限界があるとして、「自助(自分と家族の安全は自分で守る)」を中心に、各々個人が、最低3日間、できれば1週間程度の“備え”をするように強く訴えることになりました。
公的支援と言う意味の「公助の限界」が初めて明確になった最初のできごとが阪神淡路大震災でした。
当時、神戸市の自宅から避難したあるご家族のお話では、早朝(午前5時46分)の地震であるにも関わらず、震災当日に家族4人が口にした食事は、避難所で支援された“ちくわ”が4人で1本だけだったそうです。
災害時の避難所には、家を失い行き場を失った人だけが避難してくるだけでなく、実際は、自宅の被害を免れたが余震などの不安から一時的に身を寄せる人たち、また、情報や食料・飲料水などの支援物資の集まる場所だから、仮設トイレが設置されている避難所だから、と訪ねて来ている人も多くいらっしゃるものです。
※関連コラム
・災害に備えるということは?(防災論事始)(2007.10.03)
・東京で51年前に発生した震度6(2023.12.04)
・関東大震災99年 教訓は生かされたのか? 廣井悠(東京大学教授)講演録【前編】
・関東大震災99年 教訓は生かされたのか? 廣井悠(東京大学教授)講演録【後編】
・関東大震災から100年 震災からの復興と東京の不燃化 栢木まどか(東京理科大学准教授)講演録
《 執筆者 》
SEI SHOP(セイショップ)総合プロデューサー
平井敬也(ひらいひろや)
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