おはようございます。
本日で、2011年3月11日の東日本大震災(M9.1)と福島第一原発事故から 14年(5261日)です。
2024年1月1日の令和6年能登半島地震(M7.6)から1年7ヶ月(581日)です。
平成7年(1995年)1月17日の阪神・淡路大震災(死者6,437人、重軽傷者43,792人)から 30年 です。
また、史上初の「南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)」が発表されてから8月8日で 1年 です。
今週の木曜日(8月7日)は二十四節気「立秋(りっしゅう)」です。立秋は、暦の上での夏の暑さのピーク頃です。
引き続き、小まめな水分補給に心掛けて、熱中症予防に努めましょう。
———————————————
★セイショップの夏季休業のお知らせ★
2025年8月9日(土)〜2025年8月17日(日)
上記期間中は、ご注文商品の配送、及び、お問い合わせ対応など全ての業務を休止いたします。
業務再開は2025年8月18日(月)午前10時からとなります。
今年は少し長めの盆休みとなりますので、商品をお求めの方は、お早めのご注文をおススメします。
詳細は⇒https://www.seishop.jp/blog/2025summer/
———————————————
カムチャッカ半島地震(M8.8)と“津波騒動”
先週の7月30日(水曜日)朝8時24分、ロシア極東のカムチャツカ半島の東方沖でマグニチュード8.8の巨大地震が発生し、遠く離れた日本の太平洋沿岸一帯を中心に「津波警報(その後、津波注意報へ切り替え)」が発令されました。
地震発生の直後、マグニチュード8.0(速報値)の規模の地震だったこともあって、当初、気象庁では「津波注意報」が発表されたものの、その1時間後、マグニチュード8.7(当初の20倍の規模)に地震の規模が修正され、9時40分頃に気象庁は「津波警報」に切り替えて発表しました。
この津波警報は半日にわたって発表され続けられました。
茨城県から和歌山県にかけては午後6時半に注意報へ切り替えが行われ、北海道と東北の太平洋側は午後8時45分に注意報へ切り替えられましたので、地域によって異なりますが、津波警報は夜まで、半日(約12時間以上)も続いたことになります。
津波警報を受け、日本全国の太平洋沿岸部の自治体では、約200万人に避難指示が出されたそうで、首都圏の東海道線などをはじめ、多くの鉄道や航空便など交通網が長時間にわたり運休するなど交通機関にも影響が生じました。
その間、各テレビ局は放送内容を変更して「逃げて」のメッセージとともに津波情報を発信し続けました。
連日30℃や35℃を超える炎天下のなかでの避難となり、高台や「津波避難タワー」などの一時避難所では、直射日光が当たり、冷房のない体育館に避難所があったりと、指示に従い避難した人たちのなかで相当数の人たちに熱中症の疑いによる救急搬送者が出たようです。
避難所の“暑さ”対策という各自治体の“新たな課題”も浮き彫りとなった今回の一連の騒動ですが、今後は各自治体で、今回の避難の検証とともに、避難所運営についてのマニュアル等の更新も行われるものと思われます。
避難中の怪我や事故がありましたが、さいわい、津波による直接的な人的被害や家屋被害はなかったようです。
…さて、
平日の勤務時間帯と重なった今回の津波警報では、津波による大きな被害がなかったこともあってか、SNSなどでは“津波警報”への不満や批判が続出したそうです。
曰く、「気象庁は大げさだ」とか「気象庁の警報が煽り過ぎだ」といった意見だそうです。
避難する必要性がない地域にいて、ただ交通規制や運休に巻き込まれただけの人もいるでしょう。だから、批判したくなる気持ちも分からなくもありません。
マグニチュード9規模の巨大地震による津波ですから、ロシア現地では数メートル、場所により10メートルを超える大津波になります。
津波は、国をまたいで数千キロメートルも遠く離れた遠隔地にまで何回も押し寄せることが科学的にも、また過去の経験からも分っています。
今回の津波では、岩手県久慈で1.3メートル、ハワイ島でも最大1.7メートルの津波が観測され、各地の河川で津波が川を遡上する様子も伝えられました。これは、死者が出てもおかしくないレベルの津波高でした。
今回は、事前の「津波警報」が功を奏したために死者が出なかった、と私は考えます。
もし事前に気象庁の津波警報がなかったとしたら、海水浴客の多い夏休み中でもあるため、各地で人的被害が多発していただろうと思います。
1960年のチリ地震津波では、日本から遠い南米のチリ沖で発生した地震による津波が、数メートルの津波となって日本に押し寄せ、日本各地で死者・行方不明者139名を出しました。
チリ地震津波から60年間で、今は、遠隔地の地震を瞬時に知り、ある程度の津波高なども予測できるように技術が進歩しましたが、それでも詳細の予測は難しく、現状では今回のような“警報”を一様に流すのが精一杯なのかもしれません。
カムチャッカ半島地震(M8.8)の後の火山噴火
カムチャツカ半島は、北アメリカプレートと太平洋プレートの境界に位置しているため、地震や火山活動の活発な地帯でもあり、過去にも2017年にベーリング海でマグニチュード7.7の大地震、1952年、1737年にも今回と同規模(M9.0クラス)の巨大地震が発生したことが記録に残っています。
今回のカムチャッカ半島地震のマグニチュード8.8は、20世紀以降に発生した地震で6番目に大きな規模でした。
そして、この地震の直後、ユーラシア大陸最高峰の活火山として知られるカムチャツカ半島のクリュチェフスカヤ火山(標高4,750メートル)が噴火しています。
また、昨日8月3日(日曜日)、今度はカムチャツカ半島のクラシェニンニコフ山(標高1,856メートル)が約600年ぶりに噴火しました。
地震と火山の噴火が連動したようなタイミングです。
ただ、カムチャッカ半島は、世界で最も火山活動が活発な地域の一つとして知られており、この地域は、日本やインドネシアなどを含む、いわゆる太平洋上の地震多発地帯として知られる「環太平洋火山帯(リング・オブ・ファイア)」の一角を占める活発な火山地帯で、半島内にある200以上の火山のうち29火山は活火山で、島内では毎年のように何れかの火山が噴火を繰り返しています。
まだはっきりしたことは判明していないものの、最初のクリュチェフスカヤ火山の噴火活動は、地震発生の前からのものだったこともあり、地震との関連性は低いと考えられていました。
ところが、600年ぶりに噴火したクラシェニンニコフ山の方は、地震によって引き起こされたと考えた方がよさそうです。
巨大地震の後で、近くの火山が噴火する事例が過去にも見られましたが、これは、地震によって地盤にかかる力が変化し、マグマの動きが活発化することで火山の噴火が誘発されるということのようです。
猛暑日322地点で史上最多、兵庫県丹波市では日本最高気温「41.2℃」を記録
2025年7月29日(火曜日)、全国914の観測地点のうち、35℃以上の猛暑日となった地点が「322地点」に達し、統計史上最多を更新しました。
翌30日(水)には、兵庫県丹波市・柏原で「41.2℃」を観測。
これは、静岡県浜松市(2020年)や埼玉県熊谷市(2018年)の「41.1℃」を上回り、5年ぶりに日本の最高気温記録を更新したことになります。
この猛暑日地点数の記録は、気象庁が現在の統計方式を導入した2010年以降で最多。これまでの最多記録は、2024年8月4日の「301地点」でした。
さて、当メルマガの過去記事を見ると…、
昨年2024年8月4日に猛暑日が史上初の300地点越えとなる「301地点(18時時点)」となり、過去最高記録である「296地点」(2013年8月11日)を11年振りに更新したことが話題となっています。
気象観測地点の機械は気象庁で日々更新されていることもあり、今まで、こういった「観測地点の最多記録」の統計は余り取り沙汰されていなかったのですが…、
猛暑の年となった2010年以降から、猛暑日の観測地点数が200地点を超える年が常態化したそうで、2013年にはついに296地点という当時の最多記録を達成しました。
これは、2024年の301地点、2025年の322地点に抜かれるまでの最多記録でした。
※猛暑日(35℃以上)観測地点最多記録の変遷
296地点(2013年8月11日) → 301地点(2024年8月4日) → 322地点(2025年7月29日)
…という変遷なので、ここ1年で日本中で一気に気温上昇している感も否めませんね。
“猛暑(35℃以上)”が当たり前の時代となりました。
※関連コラム
猛暑日(35℃以上)301地点で観測(史上最多を更新)(2024.08.05)
「猛暑日(もうしょび)」の歴史
実は「猛暑日」や「熱中症」という用語が正式に導入されたのは2007年からとなり、まだ比較的に新しい気象用語なのだそうです。
35℃以上という極端な高温を示すこの定義は、単なる気象表現の枠を超え、熱中症への警戒や都市防災の文脈にも深く関わるようになりました。
導入以前は「真夏日(30℃以上)」という区分が一般的でしたが、2000年代に入り全国で高温日が急増し、40℃超の観測も相次いだことから、気象庁はその危険度を明示する新たな言葉として「猛暑日」を設けることになったのだそうです。
“昭和(1960〜1980年代)の頃は、真夏でもせいぜい30℃くらいだったヨ”
…と、おっさん世代は、ついビール片手に若者に語っては、若者をうんざりさせがちですが、気候変動が世界的に無視できないレベルにまでに実感できるようになったのが、ちょうどこの頃なのでしょう。
実際、2007年には熊谷市や多治見市で当時の国内最高気温である40.9℃を観測したことが導入の契機となり、同年の予報用語改正では「猛暑日」だけでなく「熱中症」も新たに追加されました。
これにより、気象情報は健康リスクや防災と密接に結びつくようになり、社会全体の暑さへの向き合い方が大きく変化しました。今ではこの用語が、単なる気温の指標にとどまらず、気候変動の進行や都市生活の在り方を考えるうえでの“暑さの象徴”としても機能しています。
2007年から早8年が経過し、今では「酷暑(40℃)」という正式でない用語も、当然のように新聞ニュースを賑わす時代となりました。きっと、近いうちに「酷暑」も正式な気象用語として定義されるのだと思います。
「酷暑(こくしょ)」の歴史
「酷暑」は中国語由来の語彙ですから、明治時代など古くから書籍に記述が見られます。一般的な言葉だと思います。
AI(Copilot)で調べると、「日本国語大辞典
第二版」(小学館)の初出例として、南北朝時代の禅僧・中巖圓月(1300〜1375)の詩文集「東海一漚集(とうかいいちおうしゅう)」(1375年頃)の句に…
《 秋来酷暑尚愆陽 屋窄軒低苦二熱腸一 》
…と引用されいるのが最古の文献だそうです。
AI便利ですね(情報を精査してないので嘘だったらごめんなさい)。
これを、当方で、簡単に翻訳すると、
“秋が来たが、酷暑が収まらず、風通しの悪い狭い家では、高温で、まるで身体の中のはらわた(腸)まで苦しめられているようだ”
…と、700年昔から夏は暑く、人の営みは変わらないのだな…
と想像すると、何だか微笑ましさすら感じます。
彼は禅僧ですから、「酷暑」を単なる気温の高さではなく、精神的な自然の厳しさを表す言葉として用いているのがポイントでしょう。
さて、
「酷暑」という言葉が気象文献に初めて登場した時期は明確には特定されていませんが、新聞記事などのメディアでは、一説によると、1990年代以降の異常高温を経て、とくに1994年の記録的猛暑を契機に使用頻度が急増したことが確認されているそうです。
※日本地理学会 > 気候変動と暑熱に関連する新聞記事件数の経年変化(藤部文昭,松本淳 2020年)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/ajg/2020s/0/2020s_297/_pdf/-char/ja
1994年の夏は、40℃以上が全国3か所(静岡県浜松市で40.6℃、愛知県愛西市で40.3℃、和歌山県かつらぎ町で40.6℃)で観測されるという日本の気象観測史上で初めて複数地点で40℃超えが確認された年で、東京都千代田区でも「39.1℃(観測史上2位)」という高温が記録された年でした。
西日本ではダム渇水による給水制限が実施されるなど、異常高温が生活にも大きな影響を及ぼしたのがこの年です。
この猛暑の原因は、フェーン現象やダイポールモード現象など複合的な気象で引き起こされたとされています。
ここで特筆すべきは、この猛暑の前年「1993年」は記録的な冷夏で、タイ米を緊急輸入した「平成の米騒動」の年でした。
たった1年で、冷夏から酷暑となった対比から、社会的にも強く記憶されることになった、という背景もあるようです。
興味深いですね。
※関連コラム
・「平成の米騒動」と火山噴火の関係(2025.06.09)
・猛暑(35℃)、酷暑(40℃)と災害級の危険な暑さ(2024.07.08)
《 執筆者 》
SEI SHOP(セイショップ)総合プロデューサー
平井敬也(ひらいひろや)
「平井敬也の防災歳時記」をメールで読みませんか?
スタッフブログ「平井敬也の防災歳時記」は、2007年から配信している防災情報メルマガ「週刊防災格言」を元に作成しています。
防災士・平井敬也が災害に備える知識を、毎週月曜日に無料でお届け。
いざという時の安心を日常の中で少しずつ備えませんか?






