地球は、増え続ける人口を支え続けられるのか―その根源には、光合成という「食料生産の出発点」そのものの制約が存在し、人類の食は、本質的にこの非効率な生物化学的機構の上に成り立っています。それでもなお、私たちは90億人を養えるのでしょうか。食料問題の本質は「生産不足」ではなく、「損失と分配」に潜んでいます。
90億人を養うという問い
地球は、この先九十億、あるいは百億(*注記1)に迫る人々を支えうるのでしょうか。
この問いに触れるとき、私たちはしばしば、まず「どれだけ多くの食料を生産できるか」という数量の問題へと視線を向けます。たしかに、人類の歴史を振り返れば、それは農業生産性の向上をめぐる絶えざる工夫の歴史でもありました。灌漑の整備、肥料の活用、品種改良、機械化、農薬、そして二十世紀の緑の革命。人類は、自然に働きかけ、その生産力を高めることによって、増え続ける人口を支えてきました。
しかし、ここで一度、より根源的な地点へ立ち返る必要があります。
私たちは本当に、食料生産の「根本」を改良してきたのでしょうか。
食料生産の根源とその限界
生物学の初歩に立ち返れば、私たちの食はほとんどすべて、光合成に端を発しています。植物は光を受け、空気中の二酸化炭素を固定し、有機物をつくります。その入口にあるのが、通称ルビスコ(RuBisCO)という酵素です。ところが、この酵素は決して理想的な機械ではありません。触媒効率は高くなく、しかも二酸化炭素のみならず酸素とも反応してしまいます。言い換えれば、地球上の食料生産(一次生産)の根本的装置は、驚くほど不完全な仕組みの上に成立しているのです。
この事実に触れるとき、私たちはある種の不安に導かれます。
もし有機物をつくる最初の扉が、この非効率な仕組みに依存しているのだとすれば、増え続ける人類を持続的に養うことは、本質的に不可能なのではないか、と。
しかしこの問いは、悲観のための悲観ではありません。むしろ、文明の足場を見つめ直すための、きわめて誠実な疑念だと言えるでしょう。
同時に、忘れてはならないこともあります。
ルビスコの限界は、人類の限界と同義ではないという点です。
生産を超える問題──損失と配分
現実の食料問題は、一次生産の量だけによって決まっているわけではありません。むしろそれ以上に重大なのは、その後に生じる損失と偏在です。畑で収穫された食料は、そのすべてが人の口に届くわけではありません。保管、乾燥、包装、輸送、冷蔵、販売といった各段階で少なからぬ量が失われ、さらに消費の場でも大量の食物が廃棄されています。
つまり、私たちは「足りない」以前に、「失っている」のです。
この事実は、食料問題の姿を大きく変えます。新たな土地を拓き、さらなる水と肥料を投じて一を生み出すことと、すでに得られている一のうち失われている三割(*注記2)を取り戻すことは、本質的に異なります。むしろ後者は、自然への追加負荷を抑えながら実質的な供給力を高める道でもあります。そこには、増産とは別種の知恵があります。
また、食料は単に生産されればよいのではありません。
それが誰に届き、どのように使われるのかという分配と用途の問題があります。人が直接食べるのか、家畜の飼料にするのか、あるいは燃料へと転用するのかによって、同じ一次生産でも支えうる命の数は大きく変わります。
したがって、食料問題とは農業の問題である以前に、文明の配分原理の問題でもあります。
では、私たちは何をなすべきなのでしょうか。
私には、食料安全保障の本命は三つあるように思われます。
三つの解決軸とその現実
第一は、植物そのものの生産力を静かに、しかし確実に底上げすることです。耐暑・耐乾燥作物、土壌炭素の改善、水管理、そして光合成の改良は、この方向に属します。これは自然を置き換えるのではなく、自然の力をよりよく引き出す道です。
第二は、収穫後の損失を減らすことです。保管、乾燥、包装、コールドチェーン、物流の最適化などは地味に見えますが、実は最も即効性の高い施策のひとつです。失われるものを減らすことは、新たに得ることに等しいと言えます。
第三は、分配と利用を正すことです。食品ロスの削減、飼料と食用の配分の見直し、地域間物流の再設計、備蓄と制度の整備。ここには倫理と政治の課題も含まれます。
誰が何を食べうるのかという問いは、社会のあり方そのものを映し出すからです。
もちろん、精密発酵や微生物タンパク、藻類培養、細胞培養肉といった新たな技術も将来の選択肢として重要です。しかし多くは工業設備と外部エネルギーに依存しており、光合成をただちに置き換える主役にはなりにくいでしょう。再生可能エネルギーが十分に整わない限り、それは補完にとどまる可能性が高いと考えられます。
結局のところ、私たちはなお、植物という巨大な太陽エネルギー変換装置の上に生きています。
九十億人を養うとは、単に作物を増やすことではありません。それは、限られた一次生産をどこまで失わず、偏らせず、人の生へとつなげられるかという問いです。
増産も重要ですが、それだけでは不十分です。損失を回収し、分配を正し、制度を整えることが同じ重みをもって求められます。
人類の未来は、ルビスコ一つによって定まるわけではありません。しかし同時に、自然の制約を忘れた楽観によって守られるものでもありません。
必要なのは、自然の限界を見据えつつ、文明の浪費を改めることです。
食料問題とは、農業の問題であると同時に、人間がいかなる秩序のもとに生きるのかという、文明のあり方そのものを問う問題なのです。
- *注記1
国連World Population Prospects(世界人口推計)等によれば、世界人口は2030年代〜40年代に90億人に到達し、2050年代〜2080年代に100億人に到達するとされる。 - *注記2
FAO(国連食糧農業機関)報告書「Global food losses and food waste – Extent, causes and prevention(FAO 2011)」等によれば、一般に、世界では生産された食料の約3分の1が失われていると推計されている。






